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HSPかもしれない

noteで知ったHSPというワード。

Highly Sensitive Parson(ハイリー・センシティブ・パーソン)

環境や性格などの後天的なものではなく、
先天的な気質、生まれ持った性質。
人口の15%〜20%、5人に1人が当てはまる性質。

私は、
・お世辞や建前の言葉をすぐ見抜いてしまう
・その場限りの快楽よりも、生き方や哲学的な物事に興味があり、浅い人間や話が苦手
・人混みや大きな音が苦手
・友達との時間は楽しいものの、気疲れしやすく帰宅すると、どっと疲れている
・映画や音楽、本などの芸術作品に感動して泣く
・人のちょっとした仕草、目線、声音などに敏感で機嫌や思っていることがわかる
・強い光や日光のまぶしさなどが苦手
・カフェインや添加物に敏感に反応し、体調を崩しやすい
など、ほぼ当てはまった。

幼少期は「おとなしい」「人見知り」と言われることも多い。
病気ではなく、個性。

日常生活で逼迫するほど困ることは今までない。
そんな自分も受け入れることが出来ているのは
幼少期から現在も、
両親の愛情を受けて育ったということが大きいと思っている。

山に囲まれた水が綺麗な場所で育ったから、
自然が大好きだし、自給自足の生活に憧れてる。
実家に帰ると母がいつも言う
「◯◯さんから、また野菜貰っちゃったのよ〜、食べきれなくて困っちゃうわ」
という言葉も微笑ましく、羨ましく思っている。

心底リラックス出来る場所があるということが、
どんなに幸せか。
実家は私のパワースポットで、母は私のメンター。
幾度となく助けられてきた。


ここ最近、ずっと三浦春馬さんのことを考えていた。
約2週間前に携帯を見ているときに
飛び込んできた訃報。
びっくりして、すぐにテレビをつけた。

「えっ?」
声が出ていた。
そのあとは自然に涙が出た。

同年代で、昔から見ていたから芸能人とはいえ、
身近に感じていた人も多かったはず。
彼のことを今まで私は苦手に感じてしまっていた。
容姿端麗過ぎて欠点などないようにみえていた。
でも、たまに見せる悲しそうな人生に疲れているような表情が気になっていた。

去年の夏に放送されたバラエティ番組を見て、苦手意識は好感に変わった。
そこには、演じていない彼がいて素直で純粋で繊細なひとなんだなぁと感じた。
勝手に親近感が湧いていた。
あれから1年後、
彼はこの世からいなくなってしまった。

彼の幼少期のこと、仕事を辞めたいと言っていたこと、
キラキラの背景には心に秘めた想いがあったんだろうな。
SNSを見ていてファンの方は異変に気付いていたかもしれない。
亡くなったあとに見たInstagramでは、たしかに疲弊しているようにも見える。

彼のドラマや舞台をリアルタイムで見たことは一度もなかったけれど、
今見ても色褪せていない、
それぞれの役を見事に演じている。

たくさんの感動を与えてくれた彼のことを、
忘れることなんて出来ないし、しなくていい。

人生には、たくさんの″もし″がある。
もし、あのとき 〜していたら。

そう考えて自分を責めてしまう人がたくさんいると思う。

だからこそ、
この瞬間も誰かに紡ぐ言葉には愛を込めていたい。

彼は周りを傷付けなかった、
自分自身を傷付けてしまい過ぎたように思う。
たくさんの愛情を注いでくれる近しい人はいたんだろうか‥

来月以降もNHKの番組やドラマ、楽曲も発売予定で、
彼はもういないはずなのに、
存在を感じることが出来る。不思議な感覚。
美しいまま記憶に残り続ける。

彼の笑顔が今は悲しく映っても、
その笑顔に癒され救われる人がこれからもたくさんいる。

彼が残してくれたものは何にも代えられない。



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