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おやすみ


今日は明るいことを書きたい
最近はずっと死にたくてくだらない
死にたいと言う度に自分の中で
言葉のもつ本来の価値を見失ってしまって
今では、おはよう、おやすみ、死にたい
くらいの手軽さで言えるようになってしまった


お願いだから死んでくれ


そう言われた日から
それは徐々に私の中に入り込んでいって
もう死にたいから死にたいと言うのか
死にたいと言っているから死にたくなっているのかわからなくなった
それでもたまに幸せになりたいと思うことがあってその正常さに安心する
だが私の幸せはもう手に入らないくらい遠く、だからこそ輝いて見えるのだろうか



少し前までは、死にたいより
幸せになりたいとよく言っていた気がする
それは死より幸せが
自分に近いと思えていたからだろう



幼少期のある頃から
私はあまり何かを欲しがることをやめた
欲しがらないことで手に入れることの出来ない悲しさから目を逸らしていた
それが私にとって1番正義だった
可哀想に見られないということが何より大事だったし、変わった子だという評価を受け入れることは簡単だった
そんなことないよと強く否定するとみんなは余計にわたしを認めてくれた


そうこうしてるうちに、ホントに変な子になってしまったようで、いつからか普通が理解できなくなったし、人の気持ちがよくわからなくなった
その頃から母が怒りっぽくなった
私が壊したのかもしれない


まあ今更どうでもいいことだ
母は私という幸せを孕んだが、
私という不幸を産んだ
そんなことより幸せより死が、
希望より絶望が、喜びより悲しみが、
身近になってしまったことこそが問題なのだ
これもくだらないと
一蹴されてしまうべきだろうか
もうそれでもいい


明るいことを書きたい
手軽でくだらない幸せを書きたい



もう飽きてしまったのでここでやめる
おやすみ、死にたい、幸せになりたい



おやすみ

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