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第2話 「未来と勇気の放課後」

 受験日当日、私は万全の体調で試験に臨むことができた。
 ペーパーテスト、記憶力を問う問題、すべてパーフェクトだったと思う。
 受験生同士で取り組む課題、当日出題されたテーマに沿った作文、そして親子面接だって、ちゃんとできたって思った。一つも間違えなかったって、思ったの。

 ――ところが。

 私は、落ちた。
 天藍女学院初等部に、落ちてしまった。

 あの日のこと…おばあちゃま、お母さま、お父さまの家族総出で合格発表を見に行った日のことを、私は今でも鮮明に覚えている。覚えている、というより、忘れることができない、と言った方が正しいのかもしれない。

 今から約六年前の、二月初旬。とっても、寒い日だった。寒かったけれど、外は綺麗に晴れていて、冴え渡る青空が目に眩しかった。
 空も、私の合格を祝福してくれているんだって、まだ発表掲示板を見てもいないのに私はそう信じて疑わなかった。

 合格発表については、ウェブサイトでの合否照会システムも用意されていたんだけど、せっかくだから合格者がはり出されている掲示板を直接見に行こうとおばあちゃまがご提案くださった。記念撮影をして、入学手続き書類を受け取った後は、お祝いにラグジュアリーホテルでディナーをして、そのままセミスイートルームに宿泊。そういう、素晴らしい予定が組まれていたのだ。

 発表日当日。
 おばあちゃまとお母さまはハレの日用の特別なお着物を、お父さまはオーダーメイドスーツを、そして私は当時一番お気に入りだった白のツィードワンピースに紺色のAラインコートを着て、合格者が掲示される天藍の正門前広場に向かった。

 電車を乗り継ぎ、目的地の最寄駅に到着する。私はお父さまの手を引いて「早く早く!」と急かしながら天藍女学院に続く坂道をのぼった。そんな私にお母さまが「掲示板は逃げないから安心なさい」と微笑みかける。おばあちゃまも「あまり急ぐとせっかくのお洋服が乱れますよ」と言いつつ、顔はニコニコしていて……今思えば、この時が一番幸せだったのかもね。

 合格発表の時刻より十分ほど早く私たちは到着した。私たちと同じようなことを考えている人が多かったのか、正門前広場にはすでに結構な人数が集まっていたわ。子どもより、そわそわと不安そうに佇む大人の人たちの姿が印象的だった。
 私はといえば、とにかく自分の受験番号を早くこの目で確かめたくって、そわそわしていた。

 あと数分。あと数分で、結果がわかる。
 私が通っていたお教室では誰が合格するのだろう。仲良しの胡桃(くるみ)ちゃんと一緒に通学できたらいいな、なんて考えていたその時。あたりがざわめき始めた。

 校舎から目隠し用の布が掛けられたホワイトボードが二人の女性によって運ばれてくる。

 来た…!

 合格すると信じ切っていたのに、私は不思議と落ち着かなくなって、両手をぎゅっと握りしめながらホワイトボードの到着を見守った。

「みなさま、大変お待たせいたしました。それではこれより、天藍女学院初等部合格者を掲示いたします。合格された方は、入学手続き書類を交付いたしますので事務局までお越しください」

 青い腕章を付けた女性はそう言い終わると、ホワイトボードを覆っていた布をバサッと勢いよく取り払った。小さな悲鳴と、大きな歓声が入り混じる中を、私は精一杯目を見開いて自分の番号を探し始めた。

「……ない」

 低く、掠れたおばあちゃまの声が聞こえた。
 ない?ないって……私の番号がってこと?思わずおばあちゃまの方に顔を向けると、見たことのないような険しい眼差しで私を睨んでいる(ように見えた)。私は驚きのあまり、とっさに視線をおばあちゃまから掲示板の方に差し戻し、再び自分の番号を探した。

 私の隣に居たお母さまが「そんなはずは…」と一歩前に踏み出て、目を凝らす。お父さまがそっと私の手を握った。

 ――おばあちゃまは、正しかった。

 私の番号はどこにも、補欠合格の欄にすら、なかった。
 おばあちゃまの顔は青ざめ、お母さまは目を真っ赤にして唇を震わせている。私のせいだ。私が、尊敬するおばあちゃまの期待を裏切ってしまった。私が、大好きなお母さまを深く悲しませてしまった。全て、すべて、私の力不足のせいだ。笠原のお家で、私だけが「スーパーガール」ではなかったんだ。

 悲しくて、情けなくて、申し訳なくて。いくつもの苦しい気持ちがどっと押し寄せる。
 私はとうとうたまらなくなって、膝からくず折れて泣きじゃくった。

「みっともない、泣くのをおやめなさい!未来!」
 厳しく鋭い声で、おばあちゃまが私を咎めた。
「まぁまぁお義母さん、未来が泣くのもそれだけ頑張ったからで…」
「拓篤さん、無責任なこと言わないでくださる?」

 だめだ。私を庇ってお父さまが責められるなんて。おばあちゃまやめて…私が…。
 私は鼻をすすり、流れる涙もそのままに「ごめんなさい、もう泣きません」と言って立ち上がった。

 無言の好奇と哀れみの視線が、ちくちくと突き刺さる。
 私たち家族のやりとりを遠巻きにちらちらうかがっている群の中に、大きな茶封筒を抱えた胡桃ちゃんの姿があった。

「さ、未来。よく頑張ったな。そうだな、予定より少し早いけど、これからホテルに行って美味しいランチを食べようか。未来の好きなもの、たくさん食べよう」

 お父さまがそう言って私を抱きかかえ、歩き始める。
 私は怖くて、おばあちゃまの顔を見ることができなかったけれど、こんな時でも背筋をピンと伸ばして優雅に後をついてくるおばあちゃまの姿に少しだけホッとして、涙を拭った。

 その時、お母さまが私の耳元でそっと「ごめんなさい、未来」とささやいた。
 どういう「ごめんなさい」なのか、私にはわからなかったけど、その言葉に私はまた嗚咽したのだった。


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