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第十一話 『愛と秩序の四時間目 小学六年生への社会学講義』

「パーソンズは秩序問題を相互行為の観点から考え直したの。この時、パーソンズは何に注目したのか?それは、相互行為の中に潜む…つまり、対人関係やコミュニケーションの中に潜む『ダブル・コンティンジェンシー』と呼ばれる状況に注目したの」

 愛は「ダブル・コンティンジェンシー(二重の条件依存性)」と黒板に書いて、翔吾らの方に向き直った。

「パーソンズが提起した『ダブル・コンティンジェンシー』は、二重の条件依存性と訳される概念でね」
「パーソンズが提起した」を強調して、愛は言った。

 パーソンズの「ダブル・コンティンジェンシー」という用語および問題設定は、ドイツの社会学者ニクラス・ルーマン(1927−1998)が引き継いでいる。ルーマンとの違いを意識しつつ、概念を、理論を、素早く噛み砕き、「翻訳」する。

「それがどういう状況を指しているかというと、たとえば…眞家さんと田中さんの間で、眞家さんがどう振る舞うかは田中さん次第だし、田中さんの振る舞いは眞家さん次第であることを言っているの。つまりね、お互いにどう振る舞うかは相手次第。言い換えると、二人それぞれの行為の選択が互いに依存し合っているってわけ。眞家さんと田中さん、それぞれどういう行為を選択するかはどちらも相手の選択次第っていう状況に置かれているから、『二重の』条件依存性ってこと」

 授業終了を告げるチャイムはとっくに鳴り終わっていた。
 しかし、誰も文句は言わなかった。渾然一体の没入感に包まれて、「四時間目」は続いて行く。

「朝、登校してきた袋井さんに私が『おはよう』って挨拶したとする。そうすると、袋井さんも私に『おはようございます』って返すわよね」

 そう言いながら、愛は信をじっと見つめて「返してくれるよね?」と念押しする。
 愛の突然のパスに、はにかみながらも慎ましく頷く信はやはり大人だ。「せんせー、信を脅すなよ〜!」という翔吾の野次には目の端で応戦する。

「こんな風に、私たちは普段、何気なくお互いにやりとりをして、相互行為を成り立たせているけど、実はダブル・コンティンジェンシーのような状況っていうのは社会のあちこちに溢れているの。だって、突き詰めて考えれば、相互行為において相手がどういう出方をするかなんて本来的にははっきりしないんだもの。今の例で言えば、私が挨拶をしても、必ず相手が挨拶を返してくれるかどうかはわからないのよ」

「うーん、それでも、挨拶されたらちゃんと『おはようございます』って返しますけど…」

 納得がいかないといった風に翔吾が食い下がった。
 ああ、そう言いたくなる気持ち、すごく分かるよ。愛は心の中だけでつぶやいた。

 翔吾の反応はとても正しいと思う。
 それこそ、翔吾が他者との関わりを通じて、彼の所属している社会にふさわしい価値観や判断、態度を身につけている――いわば、翔吾がしっかり「社会化」されているが故の反応だ。

「そうね、挨拶されたらちゃんと挨拶を返す。当たり前だし、とてもいいことよね。でも、ここでもあえて、『当たり前だと思っていることが成立しない』可能性、状況にも目を向けてみるのがコツよ。そうすると、普段見えてこなかったことが見えてきたり、今まで気づかなかったような新しい発見があるかもしれない。それが、社会学の面白いところだから」

 そっか、社会学の話だった! と翔吾が二、三度肯いた。
「素直」に当たり前を「疑う」。相反しているようだが、翔吾を見ていると両立は可能そうだ。

「よし、さっきの続きに戻りましょうか。相互行為において、基本的に人は誰もが自分の欲求を満たせるような行為を選択しようとするわ。この点を踏まえた上で、ダブル・コンティンジェンシーという状況がわかりやすく表れている例についてお話するわね」

 その例とは、ゲーム理論の中のモデルの一つである「囚人のジレンマ」だ。
 囚人のジレンマとは、共犯の容疑のある二人(AとB)に対し、「自白」か「黙秘」の選択とそれに伴う刑罰および利得が与えられた時、二人はいずれを選択すべきかジレンマに悩むことになる。

 例えば、Aから見た場合――AもBも黙秘すれば「A、Bともに懲役は二年」だが、Aが黙秘してBが自白したなら「Aは懲役十年、Bは懲役一年」、Aが自白してBが沈黙なら「Aは懲役一年、Bは懲役十年」、どちらも自白すると「A、Bともに懲役八年」。

 AとB、どちらも「黙秘」を選択して懲役二年で済ますことが互いにとって最も合理的に見える。ただし、それはA、Bの間に強固な信頼関係があって成立する話だ。それぞれが最大の利得を得ること――自分の懲役を最も少なくすること――を目指し、合理的に振る舞うなら、そこには常に裏切りの可能性が存在する。

 もちろん、相手の置かれた状況は見えないし、わからない。お互いに相手が何を選ぶかはわからない中で、自白か黙秘かを判断しなければならないのだ。

 自分だけが黙秘していても、相手は裏切って自白するかもしれない。そうしたリスクを考慮すれば、「自白」の選択肢が合理的に見えてくる。
 そして結局、AとB双方が合理的に判断した結果、互いを裏切る「自白」を選んで「懲役八年」になってしまう。つまり、合理的に振る舞ったはずが、お互いにとって望ましくない結果に陥るというジレンマ、である。……もっとも、小学生にやれ懲役何年だの囚人の話を用いるのはなんとなく気が引けるので、もう少しマイルドにアレンジした例えにしてみよう。

「甲さんと乙さんが、物々交換の約束をしたとしましょう」

 マイルドなアレンジを試みた割には、子どもたちには馴染みのなさそうな登場人物にしてしまった。

「ここで、甲さん乙さんの両方が合理的に振る舞った場合…つまり得することを目的として行為を選択したとき、約束はきちんと果たされるのか?ということを考えてみましょう。
 甲さんの立場から見た場合、乙さんが約束を守ってくれるなら、乙さんからお目当ての品だけもらって、自分は約束を破り何も与えない方が得をするわよね。乙さんが約束を守らない場合、これも、乙さんに何も与えない方が得するわ。これらと同じことが乙さんの立場からも言える。
 このたとえ話からわかる大切なポイントは、甲さん乙さん、それぞれ自分が最も得をするためには、相手を欺くことがベストの選択であるってことなの。
 つまりね、社会っていうのは、合理的に振る舞う個人の契約によって成り立っているわけじゃないのよ。言い換えるなら、社会秩序は個人の合理的な行為に基づいているのではない、ってこと」

 流れに乗っている感覚。愛は頭の中のギアをもう一段階引き上げた。
 これまでになく集中できている。愛にとっても未知の領域だ。
 額に汗がにじむ。身体が熱い。
 物語を語るように、愛の口からは次々と言葉が流れ出る。

「甲さん乙さんのたとえ話からわかるように、自分と相手の選択がどちらも互いの選択に依存しているようなダブル・コンティンジェンシーの状態では、合理的に判断すること…これまでの話も踏まえて別の表現をするなら、功利主義的な振る舞いをすることで不利益が生じやすくなるわ。不利益云々を抜きにしても、自分と相手、双方にとって望ましい帰結を導こうにも相手の出方をいつまでも窺っているままじゃ物事は進まないし、相互行為なんて達成できないわよね」

 ――パーソンズは、ダブル・コンティンジェンシーが抱える問題の克服をもって秩序問題の解決を試みた。それは、行為者双方の欲求を充足するような安定した相互行為はどのように達成されるのか、という問題であった。

「パーソンズにとっての『秩序問題』の解決は、このダブル・コンティンジェンシーがもたらす困難を乗り越えること。そして、そのダブル・コンティンジェンシーを解決するためにパーソンズが導き出した解答は…」
愛は教卓をバンっと勢いよく叩いた。結論を告げようとして身体が勝手に動いていた。

「人々が価値意識やルールを共有すること、だったの」

 かなり早い段階で「決まりは守るもの」と答えていた信は、合点がいったのか微かに肯いている。

「この考えに従うと、人が約束を守るのはそれが得だから、じゃない。約束を守ることが『よいこと』 だって判断しているからよ。
つまりね、いつまでも相手の出方を窺うことなく、相互行為がちゃんと成立するのは、お互いの中に社会のルールや価値観、文化を共有しているからできることなの。
 眞家さん、さっき、挨拶されたらちゃんと返すものだって話してくれたよね。それは、『頭を下げる行為は挨拶を意味していて、挨拶はお互いに交わすものだ』っていう文化や価値観がちゃんと眞家さんの中に定着しているからできることよ。
 さらに詳しく説明すると、そういう価値観とかルールが人々の間で共有されていると、お互いが何を期待しているかある程度予想することができる。挨拶をしたら挨拶を返すものだ、という文化が共有されているのだから、こちらが挨拶をすれば、きっと相手も挨拶を返してくれるだろう、ってね」

 パーソンズは、相互行為の過程を社会システムと捉えた。

 相手の出方に依存する――すなわち、相互行為が不安定な状況に置かれているようなダブル・コンティンジェンシーの発生にあたり、安定した(≒望ましい)相互行為が達成されるには、社会システムにおいて「期待の相補性」が確保されなくてはならない。

 ここで、「期待の相補性」をあえて簡単に一言で言うなら、行為者の互いの期待が一致していることである。

 相互行為における自己と他者は、それぞれ相手の出方についての期待をもっている(たとえば、医者と患者の相互行為において、医者は患者に対し、「診察をして欲しくて来ているのだろう」と予想している)。さらに、相手がこちらに対してもっている期待についての期待をもっているのだ(医者は患者が自分に対して抱いている期待「この患者は自分が医者であるから、診察をしてくれると思っているだろう」を予想している)。

 このような期待にしたがって互いの行為が選択され、(役割)期待の相補性が成り立っている、という。この期待の相補性がうまく成り立っていれば、自己と他者双方の欲求が満たされ、相互行為が安定するのである。

 しかし、期待が一致しているだけでは、相互行為の安定条件としては充分ではない。
 自分が相手の期待をなぜ受け入れるのかについて明らかにされていないからだ。

 そこで、相互行為が安定するさらなる条件としてパーソンズが提示するのが「価値の共有」だ。
 パーソンズによると、相互行為が安定するための条件は、価値の制度化と内面化である。

 制度化とは、人々の間で価値が共有され、それに基づいて期待がなされることである。価値基準が共有されていることで、他者の振る舞いに対する期待はより予想しやすく、確実なものになる。
 さらに、内面化とは、人々の間で共有されている価値基準が、自己と他者それぞれのパーソナリティの一部として取り込まれ、受け入れられている状態をいう。この内面化によって相互行為の安定性はさらに促進されるのだ。

「まとめましょう。社会…」

 ガラガラガラッ!
 突然、教壇側の扉が勢いよく開かれ、驚きのあまり愛の心臓が跳ねた。

「何やってるんですか!久野先生!」

 棘をたっぷり含んだ声が教室中に響き渡った。学年主任の柳沢である。

「二組だけ給食係が食缶を取りに来ないからおかしいと思ったんですよ。気になって見にきたら…」

「柳沢先生!」

 柳沢を遮ったのは未来だった。子どもながら彼女の母親を彷彿とさせる強く鋭い声に柳沢も意表を突かれたのか、二の句を継げずにいる。

 未来はいかにも折り目正しく、柳沢に言った。

「ご心配、ありがとうございます。ですが、今、とても重要なところなんです。あともう少し待っていただけませんか」
「俺からもお願いします!それと、俺、早食いなんで、昼休みが少しぐらい短くなっても全然大丈夫ですから!」

 こんな場面でも翔吾はらしさ全開だ。そんな翔吾を緋沙子はやわらかい口調で嗜めつつ、すかさず援護にまわる。

「も〜、翔吾くん、そういう問題とちゃうやろ!あ、柳沢先生。笠原さんが言った通り、今すごい大事なところなんです。ほんまに面白い授業なんで、最後まで聞きたいんです。お願いします」

 六年二組、三十名全員の懇願するような眼差しが一斉に柳沢を捕らえた。

 さすがのベテラン学年主任もたじろいで、視線を泳がせている。

 柳沢は嫌味だし、愛と考え方はかなり違うけれど、子どもたちをとても大切に想っていることを、愛は知っている。その子どもたちに、こうまでお願いされては柳沢も引き下がるしかないだろう。
愛は柳沢に対する日頃の鬱憤、私的な感情、諸々を押さえ込み、敬意を込めて頭を下げた。

「柳沢先生、すみません。つい、熱が入って…以後、気を付けます。授業も、あと三分もしないうちに終わりますから」
「まぁ…それなら…。次から時間厳守でお願いしますよ。今回だけは、勉強熱心な生徒たちに免じて、ですからね」

 柳沢は大きな溜息を一つ吐き、それでは、と言って六年二組から退室した。
 緊迫していた教室内がたちまち安堵の空気に変わる。

「…みんな、ごめんね。いくらなんでもオーバーしすぎ…」
「あと三分くらいで終わるんですよね?先生、続き、お願いします!意識したら俺、急にお腹空いてきたな〜」

 今日一番の明るい声で翔吾は言い、破顔一笑してみせた。
 一回り以上も離れた相手に気遣われている。
 情けない、と反省すべきところだろうが、どうしたって嬉しいものは嬉しい。

「…ありがとう。実は、私もお腹ペコペコなのよね。よーし、さっきのまとめの続きよ」

 残り三分、生徒らの負担を少しでも軽減すべく音声認識をONにして電子黒板と生徒用タブレットに転送するよう設定した。愛の言葉はそのままそれぞれの端末に刻み込まれるため、ノートを取る必要はない。

「秩序はいかにして可能か?に対するパーソンズの解答は『価値の共有』よ。もう少し付け加えるなら、ただ共有されていればいいってわけじゃなくて、個々人が社会における価値やルールをそれぞれが受け入れて、自分の中に取り込んで定着させることによって社会秩序はさらに安定し、維持されるというわけ」

 ――できれば、パーソンズがホッブズの理論に納得せず新たな視点から考え直したように、子どもたちもここで満足せず、パーソンズの「解答」を自分なりに咀嚼して、吟味してほしい。
 ここが決してゴールではないということを、ほんの少しでも示しておきたくなった。

「このパーソンズの解答、みんなはどう思ったかな?納得した?それとも……」

 長い長い「脱線」はようやく終わりを迎えた。

「みんな、お疲れ様!ここまでついてきてくれて本当にありがとう。さ、給食の準備をしましょう!」

 愛が省察すべき点は山積みである。山積みなのだが、そんなことはお構いなしに愛のお腹はぐぅぐぅ鳴っている。

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