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2月11日 戦場カメラマン渡部さんの講演を聴いて

 今日は友だちと一緒に、戦場カメラマンの渡部陽一さんの講演を聴きに行った。とても素晴らしかったので、まとめと感想を書きたいと思います。講演の内容と私の感想が混じっているので、とても読みづらいと思いますが、聴いてて思ったことをそのまま書きたいのでこの形式にしました。

※時間的都合で2幕から聴きました。また、聴いたことをメモしたものから書き出したので、誤っているところがあると思います。なので、内容の正誤については不正確なところがあることをご了承ください。

 渡部さんは20歳の頃から、30年戦場カメラマンとして戦争を見てきた。それは、戦争という過酷な状況のなかでも、家族や友人に囲まれて生きている人々の幸せを、苦しんでいる世界を、写真を通して世界に発信したいという思いからだそうだ。戦争の犠牲者はいつも「子どもたち」ということを強調されていた。写真として記録していなかったら、戦争で生まれた悲劇が存在しなかったことになってしまう。渡部さんの戦争の今を伝えたいというその強い思いに、強く心を打たれた。

 パキスタンでは今でも、女の子が勉強することが禁じられている。その中でも、インターネットの日記で自らの勉強日記を書き綴っていた14歳の女の子がいた。タリバン政権がそれを知り、日記を書いているのは誰だと探していると知った後でさえ勇敢にも少女は日記を書き続けた。そしてある日ついに、突然に、彼女がバスに乗る際にタリバンの軍隊がやって来て、彼女を探し当ててしまった。そして、彼女の頭へめがけて銃弾を撃った……。しかし幸運にも、彼女は緊急手術により一命を取り留めることができた。彼女の名前はマララ・ユスフザイ。2014年にノーベル平和賞を受賞している、彼女のスピーチを渡部さんは紹介されていた。

戦争を止めるのは戦うための武器ではない。一本のペンと教科書があれば戦いを止めることができる。一冊の教科書があり、先生がいれば子どもたちの環境を変えることができる。

 パキスタンで渡部さんが少女たちと交流すると、このような言葉をかけられるそうだ。

「日本では自由に勉強ができるの?」
「教科書はいくつあるの?」
「給食って本当にあるの?」

 私(私たちの、とは言えない)の当たり前は、当たり前だけど、当たり前でないことを改めて思い知らされた。スクリーンに映し出された少女たち。みな笑顔だ。毎日過酷な中を生き延びているなかでの笑顔。それを渡部さんは撮って、伝えてくださった。

 今度はイラクのお話。
 イラクでは1991年の湾岸戦争、2003年のイラク戦争で、秘密のうちにアメリカが劣化ウラン弾をイランへと打ち込んでいた。その劣化ウラン弾は、川の水、果物の中、地中へと潜り込んでいった。そうして、その影響により人々に白血病や悪性腫瘍などをもたらしてしまった。使われた化学兵器の影響が、新たに生まれてきた小さな命を蝕む。第2の戦争は今、2023年2月11日の「」も続いているのだ。

 戦争でまず最初に行うこと。それは「相手の国のライフラインを破壊すること」だ。交通などのインフラに加えて、『病院』もその中に含まれる。医者がいなくなり、医療器具は破壊されて、薬が燃やされた。残るのは点滴のみ。そのわずかに残されたもので化学兵器により蝕まれた幼き体を維持する他ないのだ。ただ、病に侵されて弱って亡くなっていく我が子を見送ることしかできないのだ。その現実を、渡辺さんがスクリーンで写真を通じて語ってくださった。目を背けたくなるくらいつらい写真だった。それを実際に見た渡辺さんは、実際に被害に遭っている子どもたちは、その家族はどれほどつらいことだろうと思った。想像できないつらさと、悲しみを感じた。

 そしてウクライナのお話。
 ウクライナの国旗🇺🇦は、下の色が世界に誇る穀倉地帯、黄金のウクライナの大地、向日葵の黄色。上は青空。人々の希望を持った国旗だ。

 2022年2月24日、ウクライナに、ロシアが武力を使って侵略戦争を開始した。
 少し時系列を戻して1991年、ソ連は崩壊した。15の共和国でなっていたソ連のうち、ロシア共和国は1番目、ウクライナ共和国は2番目に大きな共和国であった。この2つの共和国の民族ルーツはスラブ人。また、ウクライナ東部は多くのロシア人が暮らしていた。そして、ソ連崩壊後、ウクライナは独立したが、旧ソ連型の政治体制であった。渡部さんは社会主義という言葉を使われなかったけれども、理解しやすくするためにはいわゆる社会主義体制であったということだろう。その中で民衆は、不満を抱いていた。独立したにも関わらず、得られなかった自由。それを大きく変える人物が現れる。

 2018年ウォロディミル・ゼレンスキー氏が大統領選挙の公約でこう掲げた。

もし私が選ばれたならば、旧ソ連型の政治をやめて、民主体制にする」、と。
 ゼレンスキー氏はもともとはコメディアンであり、国民的人気俳優であり政治経験はゼロであった。

 圧倒的支持を得て大統領となったゼレンスキー大統領は2019年、公約を早速実行した。政治汚職に関わるものを排除し、ロシア・プーチン大統領との関係を遮断した。民主国家へ、ヨーロッパへの編入への第一歩を歩み出していた。

 それを受けてプーチン大統領はこう訴えた、
「ウクライナ東部・南部に住んでいるロシア人が抑圧されてしまう。そこに住んでいるロシア人を救済するために『軍事救出作戦』をする」と。

 その緊張の先にあったのが、前に述べた2022年2月24日ウクライナにロシアが侵略戦争だった。

 ウクライナではロシアによるジェノサイドが行われている。イルキー、ブチャなどの地域から首都キーウに向けて、民衆たちが車に家財を詰め込み移動して大渋滞になっていた。そこへ、ロシア軍が車へ銃を乱射。家へロケットランチャー。マンションを溶かす。たくさんの方が、亡くなられたという事実。イジュームという地域では集団墓地があり、500体以上の亡骸があり、そこには拷問を受けたとされる亡骸もあったそうだ。聴いているだけで、胸が張り裂けそうだ。実際にそこで生きている人たちは、無念に亡くなった方たちはどんなに大変な思いをされたのだろう。

 プーチン大統領の狙いはこうだ。ゼレンスキー大統領を何かの形で排除し、ウクライナをロシアの政治体制にする。ウクライナを、ヨーロッパとの軍事的緩衝地帯とすることが目的。このために何人もの民衆が苦しみに喘いだのだろう。

 また、プーチン大統領はアメリカやヨーロッパへ「我々、ロシアは核兵器保有国である。」というメッセージを伝えている。
 ロシアの確認されている核保有数は5875発で、世界第一だ。そして、ウクライナへ「戦術的核」を打つと主張している。戦術的核を打つということは、核兵器を練習的に、実験として打つということらしい。この核は広島・長崎に落とされた核兵器の40倍のエネルギーがあると言われている。とても、恐ろしいことだ。世界でも誇れる穀物国である豊かなウクライナに、そのようなものを打つなんて。いま書いているだけでも手が震えてくる。核兵器が撃たれる未来はそう遠いことでもないのか。パニックになりそうになる。落ち着きます。

 戦場カメラマンの視点で、最後にこれからのウクライナ情勢について語られていた。この情勢では、ロシアはあえて勝ち負けを言わずに、しばらく東南部の地域を抑えたままにしておくのではないかという意見だった。
 
 私はうつ病の療養の一環としてニュースは見ないでいるので、全く検討がつかないが、この見解では長い期間この緊張状態が続くのだと思うとそこで生きている人々は、どんなにつらい思いをしているのだろうと思った。書いていて、とてもつらいのであまり深くまで潜らないようにしますが、渡部さんが、伝えてくださったように、つらい方々がいるということは絶対に忘れないです。

 Q&Aの時間では、最前列の真ん中にいたご婦人が質問された。

 Q.このような危険なお仕事をされている中で、妻や子どもはどのような気持ちで送り出されているのでしょうか。

 A.戦場カメラマンとして働くときでも、そうでないときでも、妻や家族に対してずっと約束してきたことがある。どんなときでも、何度でも、連絡をとること。手紙、電話、メールを世界各国にいるときでも、日本にいるときでも欠かさないでいる。

 戦場カメラマンとして働く時は、通訳の方、ガイドの方などをつれて決して一人では行動しない。無謀な取材はしない。欲張って取材をしないことを心がけている。

 渡部さんは帰っていく人たちが暗い気持ちで帰らないように、にこやかに、会場を笑わすように最後のほうは振舞われていたが、私は笑えなかった。一緒に来た友だちも同じだったと、後で共感し合えた。とてもじゃないけど、笑って帰れる内容のお話ではなかった。そのままの受けた気持ちで、私たちはインドカレー屋さんへと足を運んだ。戦場カメラマンとして30年も戦争の現場を見てきた渡辺さんの言葉は、しっかりと私の心に刻まれました。貴重な講演を、ありがとうございました。


 ここからはいつもの日記。
 今日は0時半に寝て、1時半に起き、2時20分に寝て、4時40分に起きた。寝る時間が遅かったのは、昨日うっかり20時から23時半まで寝てしまったからだ。雪による気圧変動がよほど体に答えたのだろう。精神状態も不安定だった。今は落ち着いているのでよかった。

 まず起きて、昨日彼が買ってきてくれたらしいイチゴサンドをパクパクと食べてしまった。すごくおいしいの。フルーツサンド大好き。特にいちごのやつ。うれしいなぁ。

 昨日お風呂に入れなかったので、お風呂に入る。気持ちが良かったので少し長風呂をした。スキンケアや髪の毛乾かすの、あとヘッドスパもやった。よかった。

 本格的な朝食の時間。おからクッキー、プロテインバー、ホット牛乳青汁、コーヒーをいただいた。ついおからクッキーが美味しくてたくさん食べてしまう。これではダイエットにならないじゃない。少しずつ量を減らしていこう。

 写経をした。今日は「亦無老死尽」(やくむろうしじん)を書いた。訳は、その老いや死の原因が尽きることも、ということだった。解説では、十二因縁の無明があるから行があひら行があるから識があるという因果関係を「無」という言葉で否定している。それはつまり、お釈迦さまの考える最後の結果である老死さえもない、という意味につながるとのことだ。何度も解説と訳を見返したけれども、理解が全然出来なかった。なんでお釈迦さまの考えを否定しているのだろうと不思議に思う。図書館で『繰り返し読みたい般若心経』を借りてきたので、そこで詳しく知ることができたらいいなと思った。

 またちょっとお腹が空いたので、うどんとおからクッキーをいただいた。うましうまし。

 『すっきり知る仏教』を少しだけ読む。眠い。いつの間にか1時間半ほど寝てた。

 起きた後はぼーとして、でもすこししたらスピークバディでスピーキングの練習をした。テストはばっちりだった。また眠くなったので1時間ほど寝た。

 お昼におからクッキーを食べた。どんだけ好きなんだおからクッキー。おいしい。

 パス単で300〜350の復習をした。覚えられているのは70%くらい。まだまだだ。いっぱい勉強するぞ。

 今日は戦場カメラマンの講演に友だちと行くので何ヶ月かぶりにメイクをした。1時間もかかった。なんか濃ゆすぎる気がする。でも、久々にしては上手くできたかな?

 待ちに待ったお友だちがお迎えに来た。嬉しい。本当に嬉しい。私の車はスタッドレスはいてないので、雪が残ってると怖いから、と言って無理言って車を出してもらった。ありがたい。車の中でダレンシャンのお話、カラフルのお話ができてとても楽しかった。彼女との時間はいつでも特別だ。今こうやって書いていても笑みが自然に出てしまうくらい幸せな思い出なのだ。

 戦場カメラマンの渡部さんの公演を拝聴した。まとめは上に述べた通りだが、本当に貴重なお話を友だちと一緒にうかがうことができてよかった。本当に来て良かった。ありがとうございます。

 その後は、インドカレーを食べに行った。行きつけの大好きなところ。チーズナンが中にぎっしり詰まっていて、とびきりおいしいの。お友だちとガーリックナンとチーズナンを1枚交換しあって、味の違いを楽しんだ。おいしさ2倍!!

キーマカリーとバタチキカリー めちゃうまい

 帰りの車でもお話に花が咲いた。私の『ヒモ力』についてのお話は特に面白かったw気づかなかったけど、ヒモに向いているのかもしれない……いやーん。でも、いつも温かく見守ってくださる周りの方々には感謝の言葉しかありません。いつもありがとうございます。

 お家に帰ると、ちょうど彼も一緒のタイミングで帰ってきた。今日あった楽しい出来事をたくさん話せて、とても楽しかった。彼からも、前に職場であったカレーにまつわる面白い話を聞けたので大満足だ。そうもこうもしているうちに、お風呂に入る時間になった。そして今この文章を振り返りながら書いている。すっごく楽しかったな……。そして、お楽しみはこれだけじゃない。今日は夜にまた違うお友だちとゲームをする約束なのだ。嬉しい。午前中散々寝たおかげか体力はまだ残っている。ヨシ!!

 FF14で仲間たちと1時間ほど地図で遊んでとても楽しかった。みんなとお話しするのは楽しい。心が晴れ晴れとする。いつもありがとうね。

 寝る前に、今日の講演のまとめと感想をバッと書き切った。今でも渡部さんの語る口調が忘れられない。聴き取りやすい言葉と物腰柔らかい口調とわかりやすい動作。いまでも映像としてすぐに思い出させる。本当に偶然だけど、今回のチラシを手に入れて講演へ参加できて良かった。そして県外からわざわざ来てくれた友だちにも感謝してもしきれない。いつも本当にありがとうね。あなたのおかげで私は生きていると言っても過言ではありません。本当です。それでは、おやすみなさい。


講演の内容をまとめてる時間は、休憩じゃなくて勉強にしてみました。

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