幸せってなんだろう。
すごく懐疑的で抽象的なタイトルにしましたが、鬱の時私はずっとこれを考えていました。
幸せとは、楽しいとは、私が生きている意味とは。
多分こういう答えの出ないことを考えてしまうのも鬱の特徴であると思います。
ただ何が幸せで何の為に生きているんだろう、とずっとずっと考えていて鬱が治った今なんとなくそれについての落としどころがわかったような気がします。
ということで今回は私の考える幸せについて書いていこうかな、と思います。
今回は全く人の為にならない文章なので知識欲は満たせませんが興味ありましたら読んでみてください。笑
究極のところ、今は朝元気に目が覚めるだけで幸せと感じてしまう自分もいます。
幸せの定義はもちろん人それぞれだと思います。
そして一応ハーバード大学によるこんな研究結果も出ているそうです。
「自分の周りの全ての人間関係の質がいい、密であることが幸福度が高い。」
なので友達、家族、恋人、どれもが密な関係であること、もしくは自分の理想的な関係であること。ということになりますね。
確かにこれは幸せ、に直結すると思います。
鬱の時や鬱の前は私自身結構人に対して冷たかったり、淡白でした。
なので割と一匹狼的な感じて特に誰かに心を開くわけでもなく。
人と関わる時間があるならそれよりも自己実現のために努力をしたい、時間を使いたい、そんな感じでした。
親のことも大っ嫌いでしたし。。。
これが鬱になってから、すごく変わりました。
自分が思っていた以上に人がもたらす影響は大きいということ、そして温かい人もいるということ。
好きな人達と過ごす時間は積極的にとるようにしていますし、それが無駄だとは思いません。その為に時間もお金もエネルギーも使います。
私は今ある人間関係はとても大事にしたいし、自分のことを大事にしてくれる人で溢れていると思っています。
ただそれだけが幸せかというと私の場合はちょっと違うような気もしています。
以前は、自己実現、何かを成し遂げてこそ幸せ、と思っていました。
今は体も心もぼろぼろになってまで成し遂げたいことってなんだろう、と思うとそれも違うなあと思いました。
そこで私自身が何の為に生まれてきたんだろう、人間として。
と、考えた時にたどり着いたのは「感動する為」でした。
文章にするとクサイですね。笑
「心が動く」
これが私の生きる原動力になっているなあと感じています。
きっと、好きな人たちと一緒にいることで心が動くこともあります、なのでもちろんそれも幸せの1つではあります。
なので心が動くことを自分から積極的に行動していくことで私の幸せに繋がる。という結論になりました。
それこそ私が海外が好きな理由の1つとして、心が動くんですね。とっても。
こんなにもいろんな世界があって、こんなにも世界は美しいんだ。
こうやって感動するたびに、この世界に生まれてよかった、人間として。
と思えるような気がします。
鬱が治るまではずっと他人から必要とされる価値のある人間になりたい。と思っていました。
けれど今は必要とされない、それでもいい、ということを受け入れたうえで自分らしく自分のこの人生を謳歌したいなと思うようになりました。
みなさんの思う幸せはどんな形でしょうか。
たまには自分と向き合って考えてみるのもいいかもしれません。
読んでいただきありがとうございました。
次回はまたうつ病の為になること書きます。笑
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