あなたは『既に価値を認められたもの』しか相手にしないんですか、どうなんだい。
「社会的に観て鑑賞に値する、価値が保証されている作品を教育の題材として扱う」というのは一見間違っていない方向性のようにも感じるけど、あまりにも潔癖に「・・・でなければならない」が徹底しすぎてしまうとどこか将来への患者さん等への視点に歪が出てくるんじゃないだろうか。
「価値があるものを観るべきである、考察に値するものである」の裏側には「価値がないものに時間を取られてはいけない、徒労すべきでない」という価値基準が表裏一体なものとして隠れているのではあるまいか。気づいたら自分を、また周りを窮屈にしてしまうということもあるだろう。
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開運!なんでも鑑定団の「いい仕事してますねぇ」のセリフでお馴染みの中島誠之助さんは、高い審美眼と情緒あふれるトークとで有名ですが、例え最終結果で作品に社会的な価値がなくても(=安物と判断されても)
『大事にしてやってください』
『お花をいけてあげるなど活用なさってはいかがでしょうか』
『これはお祖父様にとっての、大事な大事な恐竜化石だったと思います。ご家族で大切に保管してあげて下さい』
といった言葉で締めくくることも多いのです。
「そこにある気持ち、思いを否定しない」というのは素敵だなぁ、と。
中島先生の趣味は、旅先の道路などでの石拾いだそうです。
社会的には評価されえない、価値もつけられない対象物で、普段のお仕事(名品の鑑定)からすれば少しびっくりの習慣ですが「自分の心の動きを尊ぶ」、本当にあの方こそ「いい仕事してますねぇ」ですし、そういう”目利き”の心を養いたいなぁと思うわけです。
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