評価主義というのを理解した。

評価主義という造語

評価主義という言葉は僕の造語だが。
(どうやら造語ではないらしいが今作ったので造語ということにして)
なんとなくそういうことを理解した昨今だ。

所謂すでに評価されている物であれば多少マイナスイメージに動いても問題がないということだが…まあマイナス方面の話は面倒なのでしない。

ここで触れるのはすでに評価されている物程、評価されやすいということが分かったということを書き連ねようと思う。

さて一つの例を出そう。
新しくできたケーキ屋さんと老舗のケーキ屋さん。
味のレベルはどっちも同じ。
では、どちらを選ぶ?

答えは老舗のケーキ屋さん。
必ず選ぶだろう。それはなぜかというとハズレを引きたくないという防衛本能が働いたからだ。

次にいつもの氷菓君ソーダ味と新作味の氷菓君。どちらを選ぶ?
おそらくよっぽどふざけた味でなければいつものソーダ味を選ぶはずだ。

ということで我々はすでにおいしい。役に立つ。すごいものだ。という価値観が己の中にあればおのずとそっちを選んでしまうという傾向にある。
これは人間である限りはずれはない。

では、この評価主義とは今後どういう方向性の社会を形成するだろうか。
僕はこの評価主義はとてもヤバイ物のような気がする。

評価主義の行きつく先

まずもって新しい物という物が世の中に出てこなくなるようになる。これは事実だと思っている。確証はないが…所謂肌感という奴だ。申し訳ない。しかし現実を見ると機能を増やしてカラーを変えてあの手この手で今あるものをよりよくしたものぐらいしか出てきていないのも事実。
でこの状況は何を生み出すのかと思ったことだが、それが以下のことだ。

一つ目はイノベーションの喪失
新しいものを作っても売れない。
売れないなら商売にならないからである。

次に起こることは値下げ競争
すでに起こって大変になってる。
こちらも手を変え品を変え。生き延びるが金は手に入らない。
労働コストが嵩むばかりである。

最後に行きつくのは技術のロスト
売れないものをいつまでも売っていられるわけはない。
ということは技術をロストするのは必然だ。
儲けられない事を覚えていても仕方がない。

と思い立って書いた物だが…案外当たっていそうだ。
日本の企業がイノベーションの喪失・値下げ・技術のロスト
これに掛かったときから、

イノベーションが足りない!
値下げ競争!
ロストテクノロジー!

と、大きく声高々に聞こえてきた気がする。

新しい技術を求めず、安定ばかりを求めてきた結果がこうなった一因?

…と、タイトルのとおり思った次第。
しかしまあ、裏を返せはお金がないから評価主義に至るという点がある。
簡単に言えば損したくないから新しいことにお金出さない!ということ。

しかしそれでは堂々巡りなのだが。

このような状態であるので私は新しい技術にお金を出したくても出せない状況が続いているだけのように感じる。

なぜこのようなことを書いたかというと。新進気鋭の新米クリエイターが定番の王道クリエイターに喰われていくという厳しい現実を目の当たりにすると。社会もこんなもんかと見えてしまったのである。

皆に金があれば新米にも十分に払えるのに。
もっと自分でコンテンツを探してくれるのにと。思った次第である。

今や下手にバズったりしないとみてくれないのも、心の障壁の一つだというのも間違いはない。1~10いいねよりも100いいねついてた方のツイートを見る。もちろんいいことだが。我々は舌が肥え、目が肥えてなおいいものを求めるようになり。新しい芽を摘み取る時代に入ったのかもしれない。

寒々とした気持ちで終わることになるが…
もう語ることはない。
後は社会の景気が良くなってくれればいいだけなのだから。

尾張。

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