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外はこわいものだらけ:内なるわたし、記憶の断片

子どものころ、外に出れば、こわいものだらけだった。

なにがこわいって、
家族以外の人間関係、他人。

幼稚園のころ、印象的だったのは、
同級生をトイレでいじめる、凶悪ないじめっこたちだった。

女の子三人組が、別の女の子をいじめていた。

ずるがしこいので、先生の目が届かないところで、いつもいじめていた。

トイレでいじめられてる子をみて、なにもしてあげられなくて、こわくて、
そのいじめっ子たちを避けていた。

いじめっ子の強烈な記憶が強くて、
まともそうな子もいたかどうか、
もはや記憶に残ってない。

加えて、
とにかく私自身が内気すぎて、
また感受性が強すぎ、
自分から友達の輪に入りにいくことすら、できない子だった。

園庭のすみで、だれとも取り合いになりそうにない遊具や、誰も使ってないオモチャを使って、
一人で遊んだり、
たまたま、側にいて、話しやすそうな子と話したりして、遊ぶこともあった。

大人の園長先生や、先生たちといるほうが気楽だった。

すこし仲良くなった、一つ下の学年の子たちと遊ぶこともあった。

「わたしは、なんで、ここにいるんだろう」

「なんのために、ここにいるんだろう」

「早く時間がすぎないかな」

とにかく、時間が過ぎるまで、その間の悪さやなにかに耐えていた。

いまでおもえば、一言でいうと、「つまらない」時間を過ごしてたし、全然楽しめていなかった。

友達はいなかった。

集団で帰宅する日のとき、一緒に手をつないでくれる子がいなくて、(他の子たちはすぐ仲良しの子と組む)、
みんなに嫌われてる子と手をつないで、帰った。

その子も一人だから、私は嫌がらず、手をつないであげようと思った。その子しか残ってないのだから、しかたない、と。
子供心に、その子がすこし知的障害をもっているのを感じてたし、たぶん親からもきいたのかもしれない。

その子のお母さんは、私がその子と手を繋いで帰ったことを、喜んでいた。

卒園後は、
同じ幼稚園の子がまったくいない小学校だったので、
初めて友達もでき、学校にいくのが、楽しくなった。

この引っ込み思案な性格や、
周囲を観察して、いろんなことを感じすぎて、考えすぎて、
よりいっそう内にこもっていく気質は、
大人になった今も、
じつは大して変わってないことに気づいた。

いまの自分ですら、
よくよく観察してみると、
家からでれば、
いつもアウェイな気持ちだったことに気づいた。

それが、アウェイな気持ちと自覚できないくらい、
当然になりすぎていた。

他人が怖いのと、
他人からどう思われているかが、こわいのだ。

大人になるにつれて、
陽気さや、人懐こさをだし、
愉快な人のように演じるのがうまくなり、
そのペルソナがまるで自分みたいになった。

しかも、なかなか人にはそれがペルソナだとはわからないようだし
自分もつい最近まで、
「自分はまあまあ世渡りできる、
どこにいってもとけこめる人間だ」と思いそうになっていた。

それが、この頃、
本当の内なる自分の姿を、
ちらりちらりと、見つけはじめた。

昨年から新しい環境、
ほんとうにまったく知り合いがいない環境に、
職場も、プライベートも、投げ込まれ、
数ヶ月が過ぎたこの頃。

良いこともあれば、
嫌なことが続くこともあり、
特にこの2ヶ月は、嫌なループが続いた。

周囲に居る人のことが、
だんだん怖くなってきて、疑心暗鬼になってきた。

うわべは順調なのに、
わたしの内がわは、どんどん崩れ、
苦しく、重くなってきた。

直接にはなんの利害もない職場の人にすら、
内心、「この人も噂ばなしするのかな」「他人を値踏みしてるのかな」と、ビクビクしそうになってきた。

そして、わたしは、
じつは、
他人に対してものすごく怖がりなことに気づいた。

子どもの泣き声や女の人の悲鳴が、以前から苦手で、
このごろは、
自分の子どもの泣き叫ぶ声や癇癪の声すら辛く感じ始め、
わたしはおかしいのかも?と、
インターネットで調べてみた。

すると、
HSPという言葉をしり、
この「こわい」の理由が、少しずつ、客観的にわかってきた。

それまでは、ずっと自分が変わってて、
おかしいからだ 、異様に気にしやだからだと、思っていた。

しかし、
HSPの本を読んでいると、
そんな性質が自己否定や自己呵責で終わるのではなく、
もっと明解に、なぜそうなのかが分析されていた。

わたしの他人への「こわさ」は、
HSP気質からも来てると実感することで、
今までの苦しみやつらさが、
客観的に理解できるようになってきた。

こんな内なるわたしを、これから少しずつ、受けとめて、受け入れていくつもりだ。

そうすれば、もっと生きやすくなりそうだから。

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