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南蛮渡来のビスケット

 小腹が空いたときや仕事が一段落ついたとき、お茶といっしょに甘いお菓子をいただくと、ちょっと幸せな気分になります。そんなティータイムによく添えられるのがビスケット。カステラやコンペイトウと同じく400年以上も前にポルトガル船によって日本に運び込まれたのが最初ではないかといわれています。

その2

カステラとコンペイトウ

 ビスケット(英語・ラテン語biscuit)は、ポルトガル語では「ビスコイト(biscout)」といい、江戸時代には「ヒスカウ」、「ビスカウト」などと称されました。ビスケットは、ラテン語では「二度焼かれたもの」を意味する言葉で、「保存食用の堅いパン」という意味も含まれています。文字通り、大航海時代には船に積み込まれ、船員たちの長い航海を助けました。現代に至っても堅(乾)パンやビスケットは非常用としても利用されています。
 江戸時代のはじめ頃、長崎でビスケットを作り、ルソン(フィリピン)に輸出していたという話があります。また平戸にもビスケットを焼いて売る店があったそうです。江戸時代に著された「長崎夜話草」(西川正休編)の中の「長崎土産物」の項には、眼鏡細工や時計細工などの工芸品にまじって「南蛮菓子色々」とあり、そのなかにカステラボウル、コンペイトウ、タマゴソウメン、パンなどと並んでビスカウトが記されています。
 オランダ商館での宴に出された料理のデザートにもビスケットのようなお菓子が出されていました。それらは「ヲペリィ」「スース」「カネールクウク」と記されています。ちなみに「スース」は肉桂(シナモン)が入ったビスケット、「カーネルクウク」は花型に抜かれたビスケットのことだそうで、どうやら風味付けに使った香辛料や型の違いで名称が異なるようです。 
 八代将軍吉宗(1684~1751)に、ビスケットにまつわるエピソードがあります。外国の文化に強い関心を示した吉宗は、江戸参府で滞在中のオランダ人のもとへ奉行をやり、彼らが持参していたビスケットやバターなど数種の品をそれぞれの名称を付けて出させたとか。オランダ人はそんな将軍の嗜好を知ってか、その後、バターやお菓子、ブドウ酒など西洋の食べ物や飲み物を数々献上したようです。
 ひとくちにビスケットといっても小麦粉、バター、砂糖、牛乳を混ぜて作るシンプルなタイプから、チョコレートやナッツ類、香辛料などを加えたものまでいろいろあります。そんな材料のひとつであるアーモンドも、南蛮船によって輸入されていました。もともとはペルシャあたりから運ばれてきたものらしく、江戸時代には「あめんどう」と称して将軍へ献上されていたようです。また、風味付けに用いられたのが、肉桂(シナモン)や丁字(クローブ)といった香辛料です。これらも南蛮渡来の品々で、薬用にも用いられました。

その3

将軍も好んだあめんどう(アーモンド)

その4

丁字(クローブ)と肉桂(シナモン)

 南蛮菓子には、ほかにもボウロやアルヘイトウなどがあります。いずれにしても当時の庶民にとってはたいへん珍しく貴重なものでした。

その5

ボウロとアルヘイトウ

◎参考にした本など/長崎事典~風俗文化編~(長崎文献社)、南蛮から来た食文化(絵後迪子著/弦書房)、長崎出島の食文化(親和文庫第17号)

株式会社みろく屋
 みろくやは長崎のソウルフードであるちゃんぽん・皿うどんを代表商品として、長崎の「おいしい」を全国に向けて発信している企業です。
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