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ブラウン管のこちら側にも続く「青空」

cakesが炎上したり炎上したり炎上したりしているうちに、年が明けてしまった。

と、cakesと矢の如しな光陰のせいにしてみるけれど、実際は完全に己が瑕疵で、だっつーのに12月にはアドベントカレンダーやるとかやらんとか年の瀬の安っぽい妄言をTwitterで吐いていた気がする。忘れよう。忘れて。

さて、2021年、最初の記事。

THE BLUE HEARTSに「青空」という曲がある。作詞作曲、我らが真島昌利。

ブラウン管の向こう側
カッコつけた騎兵隊が
インディアを撃ち倒した

プール後の現代文の授業中の、気怠い頭の中のような曲、そこにプールへの飛び込みのホイッスルが再び鳴り響いてきたような歌詞。

この曲の後半、

生まれたところや皮膚や目の色で
いったいこの僕の何がわかるというのだろう

という歌詞があることもあって、わりと「『青空』は人種差別を糾弾する歌」と言われるのを聞く。

(と、ここまで書いて、あ、noteを読むような活字好きな人はすでに多分何が言いたいか分かっちゃったろうな。と思って不意に虚無ったけど続けます。)

この歌の「僕」はブラウン管の向こう側ではなくこっち側、殺されるインディアンとは別の世界にいる。

できれば僕の憂鬱を撃ち倒してくれればよかったのに

そして虐殺される者の命と引き換えにと「僕」が銃の前に差し出すのは、「自分自身の命」ではなく、ある「憂い」だ。

この曲は「人種差別」という範囲のみについて糾弾しているのではない。

「僕」は、現在僕の身近にも確かに存在し、そしてブラウン管の中の「人種差別」とも確実に地続きである、過去現在未来のあらゆる差別やレッテル張りに対して憂いているのだ。

差別には、

・身分に関する差別
・階級と職業に関する差別
・人種・民族・宗教・文化に関する差別
・言語・地域に関する差別
・性に関する差別
・能力に関する差別
・病人に関する差別
・その他

そして、逆差別なんていうものもある。

時に「お前なんかどっちにしろ いてもいなくてもおんなじ(『ロクデナシ』作詞・作曲:真島昌利)」と言われ、時に「ギター弾きに貸す部屋はねえ(『ロクデナシⅡ』作詞・作曲:真島昌利))」と言われてきた「僕」。自分と自分の愛する音楽のことを他人は分かってくれないというフラストレーションを抱え続ける「僕」。それが、ここにきて人種差別のみを歌っていると考えるのはやや浅はかだ。

もっと大きな、インディアンも「僕」の憂いも包括するもの。それは言えば「多様性への無理解」だ。

そう、「多様性」という言葉がある今でこそこの思いを肯定文で言えるけれど、「青空」が発売された1989年に、「『僕』のことを決めつけないでくれ」というどうしようもない声は、このようにしか表せなかっただろう。


「この歌は人種差別の歌だよね」と言う人が皆、自分は「ブラウン管の向こう側」とは全く無縁ような顔をするのが、ずっと気になっていた。

最近ある芸能人が「自分の周りに差別はない」とツイートして炎上した。いや、差別はどこにでもある。自分が見ようとしていないだけで。

ふと、この歌が人種差別の歌だと言う人に感じた違和はそれだと思った。

「インディアンを撃ち殺すのは悪だ」と、自分は決して差別に加担していない顔をする。しかし、彼らは自分自身が有色人種であることを忘れている。「自分はインディアンを撃ち殺す側である」というインディアンへの無意識の偏見が漏れている。

そして、無意識に差別をする人間が、ギターを背負った「僕」を「不良」と呼ぶ。

先人たちが描いた未来には、差別も飢えも戦争もないはずだった。平和と平等があるはずだった。ところが、「僕」の周囲でさえ、それらの萌芽でいっぱいだ。未だに誰かが誰かを虐げている。「僕」は無力で、それをどうにもできない。歴史が「僕」を問い詰めるのはそのせいだ。

「僕」はいっそバスで何処かへ逃げてしまおうかと思う。しかし、人に運転を任せたところで現実からは逃れられないことを「僕」は本当は分かっている。だからこそ、青空が眩しすぎるのだ。


面倒なのもあって、わざわざ「人種差別の歌ではない」ということを、言わなくてもいいな、と思っていた。広い意味では人種差別も含む歌だから。けれども、「人種差別を糾弾する歌」という人の、ツルリとした顔の違和の根源に気付いたとき、「あ、これは書いておこう」と思った。

読解力がなかったので気づかなかったという人もいるだろう。しかし、詞・詩への読解力には想像力が含まれる。そしてその想像力は相手への思いやりを含む。

「僕」の気持ちに気付けないのは、その人が差別や偏見、レッテル張りというものについてじっくり考えたことがなかったからではないか…


などと思っていたら、昨年11月下旬だけど、ヒロトがこんなことを言っていた。


「歳取ると、老眼ってあるんですよね。僕ないんですよ。そのかわり遠くがどんどんぼやけてくるんですよね。そのタイプでよかった。なんでかっていうと、近いものを見たい。遠くのものって、見えなくてもたいして影響ないんですよ」
「ぼんやりしてないんですよね。ぼんやりしてると、どこに焦点を合わせるか、みんな自分で選べる。だけど、ペランって1枚にされると、みんなそれしか見れない。」


ああ~ん、こんな記事書いてすいませんでしたぁん…。

寝よう。

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