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誰の人生を生きてるんだっけ


私は自分の母親が苦手でした。嫌いでした。
30.40にもなっても人の恋愛に口出ししてくる。
毎回、毎回、毎回。あんな男だめよ、早いとこ別れなさい。

そんで、私は反抗してDV旦那と結婚した。
優しい人だったけど お酒を飲むと暴れた。
何度も蹴られたり頭突きされたり殴られたりした。そんでね、、
母の思惑通り、可愛い孫を連れて娘は出戻ったわけです。

母は言い放ちました。

「ほらね。言ったじゃない。」

子育てにいたっては、自分は棚上げして
至らないと責めてくる。(子育てを手伝ってもらったのも悪いけど)

どんなに仕事で努力し成功しても あなただったらそんなもの可能でしょ、もっと凄くなれないの?的な事を言われた(気がする)いや
言われた。

その後も再婚のタイミングはあったけど
サラリーマンでしょ、自営のうちとは合わないとか。
お店をやってるの?水商売よ、あなたが苦労するだけ。今のうちにやめなさい。

その上に 娘を盾に出す。

この子はどうするの?そんな男と一緒でちゃんとした教育させれるの?

そのうちに私は母を心底、憎むようになった。

私の幼い頃、夜はおばあちゃんといつも2人だった。仕事忙しいのは知ってたけど、土日は朝まで雀荘にいたよね。

貴方のせいで 私は高校生から摂食障害になったし、その後もいろいろな依存性になったのに。

ずっとくすぶっていた。でもなんとなく誤魔化しながらやってきた。

そして わたしは、その重荷を娘に全て負わせたのだろう。母のやった事を繰り返さないように 厳重に見守り、すぐに手助けをしていました。

ある日、娘が鬱病で死んでしまうのではないかという恐れに 苛まれ 私は崩れそうだった。

号泣して母に泣きついた。

ママごめんね。憎んでごめんなさい。
ママが大好きなの。助けて、わたしの大切な娘がいなくなっちゃうかも。どうしよう。

母は私をしっかり抱きしめて 大丈夫。あの子は大丈夫。あなたも大丈夫。大丈夫よ、大丈夫。と抱き締めてくれました。

ある意味、娘の起こしたミラクルです。

我が家では 見越してやったんじゃないかこいつの家出疑惑説もあります。笑

それ以来私のインナーチャイルドは大幅に癒され(いい加減に自分で責任とれよと)

そして 母のことを大好きになりました。
(大好きだったのを改めて 知った。)

家族の仲も 良くなりました。うまく回るというか。

今ではわかる。母が若い時の私のことを、どんなにか心配し、心砕いていたことも。

母親の愛は業とも呼べるほど強い念です。毎日でも手放したい。でも、手放せない思い。

手放すには、その恐れに気がついてとことん感じきったら手放し、相手を完全に信頼するしかないのです。心配が絡むと難しいんですが

それには、立ち返って自分自身を信頼しきるしかないんですよね。鏡です。自分の投影でしかない。

48年かかっちゃいました。

母は自由で、好きな事やってますし
娘も手放したので 好きにやるでしょう。
私もだいぶ自由になりました。

全てに、感謝の気持ちが沸いてきます。

今日はまたsaluの曲。

All I want 歌詞一部




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