個体が5年半向き合い続けたもの
私とは何か。何ができて何ができないのか。
何が好きで何が得意で、何が嫌いで何が苦手なのか。
たどり着いた答えは、「私の5年半は、仕事なしには語れない」ということだった。
仕事が特別好きか、というとそうではない。ただ、求められることは嬉しかった。だからがむしゃらに走った。毎日毎日、ひたすら来たボールを打ち返す。帰った頃にはへろへろになっていて、何も考えられず寝る。起きる。出社。ボールをひたすら打ち返す。帰る。寝る。
文字通り、こんな生活だった。もちろんそれ以外のこともやった。本も読んだし旅行も行った。素敵だと思う身の回りのものも買った。カメラも少し手を出した。
ただ、おそらく、仕事のストレス発散が主目的だったのだと思う。のめり込めない。
そして、別れ。
別れる前後に、一人の友人とより仲良くなった。その人は、自らのことをHSPだと思うと言っていた。ある本を紹介された。
私もその本読んだことあるな、と思いつつその時は流していたけれども、別れた後にふと、再度読んでみた。
私そのもののことが書いてあった。
ああ、私、今の職場の環境向いてないんだって、ようやく認めることができた。
それまでは認めることができなかった。自分が勉強や仕事で、優秀でいなければいけないと思い込んでいた。
もともと器用ではないので、ただただ勉強や仕事に向かい続けた。それ以外のことは何もできなかった。
それ以外のことができない自分と向き合うと、自分の至らなさを突きつけられるのが怖くて、より仕事に打ち込んだ。
花形部署へ異動し、素敵な先輩に出会い、同じようになりたくてなお仕事に打ち込んだ。
なのに仕事を好きになりきれない。おそらく、スタート地点が違っていたからなんだと思う。
好きだから頑張るのと義務で頑張るのは全然違う。どちらのスタンスも違ってはいないけれども、動機に見合った生活の割き方でないといつか、壊れてしまう。
好きならば、人生と切っても切り離せないならば、思う存分打ち込んでいい。
義務としてならば、違う軸を見つけないと。
今の職場は、いわゆる花形部署だ。毎日いろんな仕事が降ってくる。どんどん打ち返す。同時進行で大きい案件を練り、説明し、進めていく。
この職場に来て、たくさんの素敵な先輩に出会えた。それは私の財産だし、スキルもたくさん学ばせてもらった。知り合えた縁も得られたスキルも、今後も大切にしたい。
ただ、似た環境の部署にはもう行けない。自分の生活を確保してこその仕事であり、この5年半できなかったことはこれから向かいあっていくしかない。手遅れでも。
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