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「掃除と悟り」の意外な関係に感銘を受けた結果、私の部屋が一気に片付いた話

昨日、いつものようにツイートを眺めていたら
「掃除をすることと、悟りを開くことには、深い関係がある」
という旨のツイートを見ました。

上記のツイートを見た時は、あまりピンとこず、軽く読み流していました。
しかし本日、改めて自分の家の中を見渡して、その雑然とした様が「いつも以上に」気になりました。
おそらく上記のツイートが心に残っていたのだと思います。

私自身、特に悟りを開きたいと強く思っているわけではありません。
しかし、可能な限り " 善く " 生きていきたいとは思っています。
善く生きるためにできることを、できる範囲で取り組みたい気持ちはあります。
それで、なんとなく上記のツイートが心に引っかかったのでしょう。

昨日見た上記ツイートと、本日見た私の散らかった部屋が、「掃除と悟りには具体的にどういう関係があるのか」を私に調べさせました。

すると、ある仏教徒が、掃除を通して悟り得たというエピソードに出会いました。

掃除の功徳を体現した人物に周利槃特(しゅりはんどく=チューダ・パンダカ)という釈迦の仏弟子の逸話がある。槃特は物覚えが悪く自分の名前すら覚えられない愚者だった。そのため名前を書いた名札を首にかけていたが、それすら忘れてしまったという。槃特は釈迦に周りの修行の邪魔になるので出て行くことを伝えた。釈迦は掃除好きの槃特に一本の箒を渡し、「わたしは塵をとり除く」「わたしは垢をとり除く」という句を授け、掃除の時に唱えるよう指示した。もちろん槃特はそれすら忘れてしまうので、何年も箒を持って「ちりを払わん あかを除かん」と唱えながら、来る日も来る日も掃除に打ち込んだ。やがてその姿に周りの仏弟子たちも槃特を尊敬するようになった。そして槃特は「ちりやあかとは、執着の心である」と気づき悟りを得たという。掃除の功徳は元々清浄を好む日本人とは相性が良かったことだろう。日本人にとって掃除は仏事でもあるといえる。

https://www.sougiya.biz/kiji_detail.php?cid=1672

掃除を続けているうちに、自分の心のチリや垢(執着)に気づく。それが悟りにつながる、といったエピソードです。
いくつかのサイトで同様のエピソードが見つかったので、かなり有名かもしれません。

掃除と悟りの関係から少し離れて、他にも掃除の徳を説いたエピソードがないか探したところ、様々な宗教に造詣の深いといわれる松下幸之助も、以下のように言っていました。

「天下の掃除をする前に身の回りの掃除をしなさい。身の回りの掃除もできない人間に天下の掃除はできません」と繰り返し言われたそうです。

https://www.houonji.com/column/2954/


さて、これらを読んだ私は、いてもたってもいられなくなり、本日家の中を駆けずり回って大掃除を行いました。

「掃除と悟りの関係」が頭にインプットされているためかわかりませんが、掃除中に心が洗われるような、浄化されるような、心地よい気分になりました。

これまでの私は、多くの方と同じように、汚い部屋よりも綺麗な部屋が断然好きでした。
しかし、部屋の掃除よりも、自分の仕事やプライベートの活動の方が人生において重要と考えて、掃除を後回しにしていました。

「掃除が悟りにつながる」という考えは、私の人生における「掃除の優先度」を大きく高めました。つまり、今後の私の行動を、よりよい方向に変えてくれたわけです。非常に有益な情報だったと思います。

どなたかの部屋が綺麗になることを祈って、本日も執筆しました。

最後になりますが、私は大体2日に1回のペースでnoteを投稿していますので、もしよければフォローをお願いします。Twitterもやってます。





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