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お母さんの思い出

今、仕事の出張で近鉄特急に乗っている。
近鉄、本当に思い出深い。

近鉄沿線に小6まで住んでいたのもあって、関西を離れてからも近鉄は断トツで大好きだ。所詮小6までしかいなかったし、車移動が基本だったからそんなに乗りまくってた訳でも何でもないけど、でもやっぱり当時から好きだった。

1時間とか乗るとなるとそりゃもうキッズにとっては退屈だったけど、でも途中停車駅の名前を覚えたり、車窓から眺める景色を堪能したりするのは楽しかった。

あと、日常の一部に近鉄の走る景色があり、踏切からぼけーっと眺めるのも好きだった。

やっぱあの、臙脂色の車体がいいよなぁ。

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私が電車!と言われて真っ先に思い起こすのは、やっぱりこの近鉄電車だ。東京に引っ越して本当に悲しかったことランキング第三位くらいに、近鉄に乗れないことがあると言っても過言ではなかった。
発車音から走る路線から車体から何から、唯一無二の良さがある。そして奥深い。
鉄オタが夢中になるのも頷ける。

昔からの古い車体がめちゃくちゃ大切に使われ続けているのも好感ポイント。JRとかは割とどんどん世代交代していくけど、近鉄はあり得ないくらい長寿な車体がそこかしこを走っている。ずっと引退しないで走り続けてほしい。。

近鉄に乗ると思い起こされる記憶は専ら小学生以前のことだから、乗るたびに私は思い出に浸ってしまう。

特に今日は、近鉄の駅にある、志摩スペイン村や伊勢神宮の広告にやられた。
懐かしすぎる。パルケエスパーニャこと志摩スペイン村、最後に行ったのは幼稚園児の頃だったかな。小学生になってからは行ってない気がする。

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うちの亡くなったお母さんが伊勢志摩あたりを好きだったらしく、小さい頃から何度か行っていたはずだ。

お母さんが亡くなってからも何回かお父さんに連れられて行ったように思う。
というかお父さん、単身赴任開始後も結構積極的に旅行に連れて行ってくれる人だったんだけど、最近になって聞いた話によると、元々旅行とかほぼしない人だったらしい。

お見合いで出会ったにも関わらず、お母さんにベタ惚れだったお父さん。
まだ付き合い始めの頃、旅行大好きなお母さんにディズニーランドやら伊勢志摩やら名古屋やら、色んなところに初めて連れて行ってもらってすっかり感銘を受け、沢山旅行するようになったらしい。

てか、今挙げた場所、お母さんが亡くなったあと何回もお父さんに連れられて行った場所ばっかりやないかい。お父さんの感情のでかさをこの歳になって痛感した。

いいなぁ。私は幼稚園児の頃までしか一緒にいられなかったから、お母さんの思い出がかなり少ない。ほとんどが病院の一室にいるお母さんの記憶なのはかなり悲しいところ。

元気なお母さんの数少ない思い出は、忘れてやるまいと必死に記憶している。一緒に手を繋いで散歩してたら虹が出たこととか、ピクニックに行ったこととか、布団を被って一緒におばけごっこをしたこととか、幼稚園の面談に一緒に参加したこととか、幼稚園の発表会に向けて衣装用の帽子を作ってもらったこととか、眠れなくて一緒に布団に入ったこととか、『たのしい幼稚園』って雑誌を勝手におばあちゃんに買ってもらって怒られたこととか。

おかげで幼少期の記憶は周りの人間より遥かに鮮明だ。上記だって3〜4歳の時の話にしちゃ、よく覚えている方だと思う。まあそれでも、みんなスポットの記憶ばかりだし、元気なお母さんの記憶なんて正直今挙げたものでほぼ全て。

志摩スペイン村や伊勢神宮なんかは、みんなで行ったという事実をうっすら覚えている程度だ。こないだ伊勢神宮は行ったけど、正直ほぼ記憶にない景色だった。鳥羽水族館については割と覚えてたけど。
志摩スペイン村も今行ってもほぼピンとこないんだろうなぁ。
いやー、それでも志摩スペイン村めちゃくちゃ行きたい。行って、何か思い起こせるものがあるか確かめたい。

最近になって、ちょこちょこ幼少期の映像を父からもらえるようになった。ビデオテープを頑張ってDVD化し、データに落としたものだ。

私にとっては、生きたお母さんの思い出にアクセスできる本当に貴重な資料だ。お母さんあんまり写りたがらないから、ほとんど撮影者に回っているし、声だけの出演であることがほとんど。それでもこんな素敵な映像を見られるのは嬉しい。私が結構大事にされていたことがわかるのも嬉しい。

日記のひとつでも残っていればなお良かったんだけど、そんなものが存在しているのかどうかもぜんぜん分からない。

本当は色々家族から聞き出したいんだけど、お母さんのことに触れると家族はみんな悲しむので、あんまり積極的に情報を欲するのも申し訳ないところ。お母さんの思い出を聞いて、祖母を泣かせてしまったことがあるので、その反省もある。でも本音を言うともっと色々教えてほしい。みんなには記憶があるだけ羨ましい。その分私以上に亡くなった悲しみはさぞ大きかっただろうけど、私みたいに限られた記憶に縋って、ぼやけた母親像になんとか必死に肉付けするしかないのとは大きな違いだ。

おそらく祖父母の住む家に、父が保管しているビデオテープが大量に眠っている。小学生の頃、父が単身赴任から帰ってきたときに限って見られたので、その記憶なんかも大切に自分の中にとってある。でもそれも薄れてきた。あぁ見たいなぁ。

あれほんと、今すぐダビングして大事に大事に鑑賞したい。

お母さんのこと、なんでこんなに追い求めてしまうのか、自分でもまあまあ不思議だ。

なんとなく、お母さんの存在っていうのは私の中でずっと欠けた存在だから、他の人と違って欠けてる、みたいな感覚に埋め合わせをしたいのかもしれない。
お母さんには絶対的な味方でいてほしいから、なんとかリアルに想像できるお母さん像に近くにいてほしいのかもしれない。実際、お母さんならなんて言ってくれるかな?って考えたときに、何1つ想像もつかないのは結構悲しいことだ。

物心ついた頃から、クラスの中で、学年の中で私にだけ、お母さんがいなかった。参観とか運動会とかがあろうものなら、その事実が大変顕著に可視化される。ありがたいことにおばあちゃんがいつも来てくれるんだけど、それをきっかけにみんなにお母さんいないことを知られることになったりする。
祖父母にちゃんと育ててもらえているだけ本当に贅沢な悩みなんだけど、自分はマイノリティなんだなぁみたいなことをいつも思っていた。それが転じて、自分はみんなと違う、自分は低俗な皆さんと違って色々考えていて賢い、みたいなやばい拗らせ方をしていた部分はある。ああ恥ずかしい。

でもやっぱり、みんな当たり前に親がいて、その状態が続くことを全く疑わないもんな。なんとなく会話の中でも疎外感があった。

全世界の人間が必ずもっている、母親という絶対的な存在。これが私には最初から欠けていた、そんな自認があった。
欠けているものは、例えば新しい母親が現れたりすれば埋め合わせられるのかな、とかなんとか考えていた。いや、代替の母じゃなくて私の生みのお母さんがいてくれることがもちろん理想なんだけども。

転機は小学校卒業後。
中学生になると同時に色々あって東京に出て、ずっと単身赴任だったお父さんだけでなく、本当に新たな母や弟と暮らすことになってしまった。ちょっとだけ、新生活にワクワクしている部分もあったけど、残念ながらあまり新しい母と私は性格があわなかった。
相当私のために色々と尽力してもらったし、感謝してるんだけど、結局私の真の母親とは思えていない。申し訳ない。でもどうしようもない。やっぱり私のお母さんは、生みのお母さんただ一人だとしか思えない。未だに中学以降の母のことはお母さんって呼べないし。呼びたいとも思わないし。


新しい家の中では、生みのお母さんの話は暗黙の了解で禁句になった。まあ、そりゃそうだけど。

お父さんからは、『いじめ防止に配慮して、元からこういう家族構成だった、という設定で行くことで教育委員会に話を通しておいた。だから学校にも事実は話さなくていい。』と言われた。申し訳ないけどいらん配慮だなぁと思った。先に言ってよそういう大事なことは。だいたい再婚の話だって後出しだったじゃん。

でも、結局私も浮きたくなかったからその設定に忠実に生きることにした。絶対に新しい母のことはお母さんとは呼んでやらん、と決めていたけど、設定は原則守った。本当に信頼している友人にはこっそり打ち明けていたけど、それも一部の人間だけ。先生にすら隠していたし、この事実を知らない中高の友人は結構多かったりする。

めっきり、私の生みのお母さんに言及できる機会は少なくなった。私の胸の中にしまうか、関西に帰ったときに親戚達と話すくらいしかできなくなった。
大学に入ってからは設定を守る必要もなくなり、あんまり無理に隠すことはなくなった。
家庭の事情を話すことは、私の相手に対する信頼の証みたいになっている部分がある。

社会人になって、ひとり暮らしをはじめてようやく色んなことから開放された。もう、変な設定に縛られて生きる必要もなければ、家庭内で発言に気をつける必要もない。家の中でお母さんのビデオを見たって誰にも咎められない。

そんな訳で、最近になって、お母さんの情報をかき集めたいという欲がこう、ムクムクっと強くなってきている。最近は実家から写真をかき集めたり、今まで得てきた情報をもとに、ネトストの才能あるんじゃないかな、ってくらい色々ネットで調べたりしている。分かることも多少はあった。でも、お母さんが亡くなったのは、ネットもそんなに普及してない時期なのでそもそも情報が少ない。
お母さんが亡くなってもう20年はすぎたけど、ぜんぜんお母さんがわからん。。あまりに家族の中で評価の高い人なので、私の中でもなんか妙に神格化されてる。でも神様なんかじゃなくて、等身大の人間だったはずだ。残念ながら情報量が少なすぎてだいぶ解像度が低い。とりあえずめちゃくちゃ優しい、ということに私の中ではなってるけど、実際どうかもわからん。
ほんと、、推しの子のあかねちゃんみたいな能力がほしい。

こんなお母さんのことばっか考えちゃって、私キモいなぁ。考えてみれば、私の行動原理ってお母さんを追い求めた結果、みたいなものがまあまあ多い。
色んな人と会いまくって会話して、性格や考え方を学んだりするのも、お母さんのパーソナリティに肉付けをしたいから。
ずっと地元へのアイデンティティが捨てられないのも、これを断ち切ってしまうといよいよお母さんとのつながりが無くなってしまう気がするから。
お母さんが昔行った場所に旅行をするのも、お母さんの軌跡を辿りたいから。まあ旅行は普通に趣味だけども。
逆に、noteを書くのは、私の軌跡を将来に残したいから。もし私が死んでも、私の人生を辿りたいとかいう物好きな方がいるようであれば、ぜひこのnoteの内容を追いかけていただければと思う。面白いかはさておき、割と私の脳内がそのまま出力されている自信ならある。

話を戻すけど、
20年来、ちょっとキモいくらいお母さんの面影を追い求め続けている気がする。

あーあ。お母さんに会いたいなぁ。お母さんに会えたら一発なのに。お母さんに会って会話さえできれば、私はもう人生満足です、ってレベルでめちゃくちゃ満足するのに。

お母さんに会いたい。それって割と当然の欲求じゃないだろうか?他の人は頑張って会いに行けば会える。毎日当たり前に会える人もいる。これが私の場合は他界しないと会えない。いや、他界すれば会えるという発想だって正しいのか分からない。

故人とはいえ、お母さんのことを追い求めるのは、自然なことであって、決して悪いことだとは思っていない。なんかずっと過去に縋ってるやつみたいだなと自分でも思うけど、それでも私が豊かに生きていくために欠かせない過程だなと思う。なんでか分からないけど、知りたいものは知りたい。だから、こんな日々は多分当面続く。

お母さんならなんて言うかな?って思ったときに、ちょっとでも解像度の高い言葉が考えつくようになったらいいな、と思う。お母さんの生きた人生に思いを馳せ、どんな場所で何を思っていたのかな、とか考えてみたい。

今流行りの葬送のフリーレンじゃないけど、お母さんの生きた軌跡を辿ることが、私の今後当面の人生のサブテーマになりそうだ。

と言う訳で、もしお母さんを知る人がいるなら、情報ください。情報を辿る良い術があったら教えてください。本当によろしくお願いします。

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