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ありあまる富

 椎名林檎の『ありあまる富』がリリースされたとき、私は小学6年生だった。
 「もしも彼らが君の何かを盗んだとして それはくだらないものだよ 返して貰うまでもない筈」。当時、私はこの歌詞の意味がさっぱりわからず、母に尋ねるとこう言われた。「いつかわかる日がくるよ」。

 歌詞の意味をなんとなく理解できるようになった、25歳。実家を出て、ひとり暮らしをはじめた。
 井の頭線沿いの駅にある築37年の1DK。本棚の漫画を全部持って行きたくて、ちょっと無理して広めの部屋を借りた。


 新居と実家を行ったり来たりしながら約1か月かけて引越し作業をし、徐々に実家を離れていった。とある休日、母がレンタカーで荷物を運んでくれることになり、冬服や小物をパンパンに詰めた段ボールを8箱乗せて走った。

 家の車を売って約5年経つので、母5年ぶりの運転。はじめは不安もあったけれど、少し走ったら全然平気そうだったので、純粋に母とのドライブを楽しんだ。

 新居に到着し、何往復もして段ボールを部屋に運ぶ。IKEAから家具が届いて、2人で組み立てた。いや、9割母が組み立てた。
 昔からこういう細かい作業が苦手で、いつも器用な母の手を借りていた。高校の体育祭で着た衣装に入れた刺繍を実は母がやったこと、後ろめたくて同級生には言えていない。

 荷物の整理が落ち着いたあと、ベランダの掃除をした。同じようにたわしで壁を擦っているはずなのに、なぜか母のほうが綺麗になるスピードが早い。でも、追いつこうとは思わなかった。

 引越し期間の中で、私は恵まれているのだと思う瞬間が何度もあった。甘えてばかりの私は、これまで母にどれだけの面倒をかけてきたのだろう。
 そう思ったら感謝よりも申し訳ない気持ちのほうが大きくなってしまって、帰りの車の中でしきりに「ごめんね」と言っていた。
 「なんで謝ってばかりなのよ」と母は笑って、でもちょっとだけ寂しそうだった。そしてぽつりと「頼ってくれてうれしいよ」と言った。

 しんみりとした空気をごまかすため、星野源の曲をかけてふたりで歌いながら帰った。何曲目かで『Family Song』が流れてきて、歌詞の一文字目を声に出そうとしたら喉がぎゅっとなって、涙が滲んできたので歌うのをやめた。
 これから私が母のために祈ったり、与えたりできるものはなんだろうか。



 出かけるといつも帰りに半分こして食べたパピコ、洗濯中のぬいぐるみを見てふたりで泣くほど爆笑したこと、母が作る青椒肉絲の異常なおいしさ、ムカつく上司をあだ名で呼んで一緒にムカついてくれたこと。

 25年のあいだに母がくれた愛のすべてが私の富で、誰にも盗むことはできない。その事実が私を生かしてくれるような気がした。私にはこんなにも、富が溢れている。

 最後の引越し作業を済ませ、私の部屋から帰っていく母。その後ろ姿が、いつもよりまあるく、まあるく見えた。


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