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プロの作曲家を辞めてミニマリストになった話


 
今読んでくれているあなたは
今、目を左から右に流して、この文章をなんとなしに見ているあなた。
あなたと僕は他人です。
 
 でも。
  
今から書くことに少しでも共感できる部分があったなら読み進めてくれたら嬉しいです。
 
 
 
心がぐちゃぐちゃで
なんだかずっと肩が凝っていて
いつでもなんだか眠くて
 
やる気がでなくて、
汚い部屋でどうしようもない思いで
天井を眺めている
 
別になにももう好きじゃないし
とりあえずお腹がすいたから穴を埋めるみたいにしか食べてなくて
 
なにもかもくだらなくて
つまんなくて
あきらめていて
 
そんな過去の僕に似たあなたに読んで欲しくて僕はこのブログを書きます。
 いや違うか、自分のためだけだと思います。
 
 
  
 
僕はチビで、からかわれてばかりの人間でした。
 
好きな子がいても、半分いじめられているようなそんな僕では気持ちすら打ち明けられない、そんな人間でした。
 
閉塞された日本海側で生まれ育って、今思っても本当に大嫌いな先生、同級生。
 
そんなぼくは『ゆず』と『BUMP OF CHICKEN』に高校生のころ出会いました。
 
アコースティックギターを購入して、母はすぐにやめるだろうと一番安いギターにしときなさいと言われて、そこからが長い音楽人生の始まりでした。
 
 
下手すぎて。何より音感がなくて。隣の部屋の姉が定期的にぶちギレて部屋に怒鳴り混んできて言われました。
 
『なんでそんなに音あってないのに歌い続けられんの?!?』
 
なんでだったんだろう
 
 
そして、なぜか僕は路上ライブをするようになりました。
一人でいつまでもいつまでもたまーに足を止めてくれる人はいても、まったく何も実りのない一回いったら五時間くらい一人で歌ってました。こえはがらがら。観客はなし。さあかえろう。
 
音痴が多少なおっても僕は高音がでない声質で。相変わらずへったくそでした。
 
 
『そら』とかいうゆずのぱくりみたいなユニットを組みました。
一緒にやってた友人がイケメンだったので、それなりにお客さんがいました。僕は金魚のふんみたいだと自分を思いました。
 
 
それでも僕はなぜかいつも常にオリジナル曲を書き続けていました。
今聞いたら本当に恥ずかしくて拙い、それでも自分だけの曲でした。
 
 
僕は運動は普通で。頭は悪くて。女の子にはもてなくて。チビで。からかわれてばかりで。
 
自分には絶対に価値がないから。
価値のあるものを作りたかったんです。
こんなに綺麗なものの内側にいるんだと。
自分で誇りたかったんだと思います。
 
 
ある程度音楽ができるようになりました。水滴石を穿つ。ローマは一日にしてならず。石の上にも三年。
大学生になってバンドをやって。お客さんは一人みたいな。そんなライブをやってました。
才能のなさを思い知って、まあ、結局そんなもんだよね俺なんて。そう割りきった。
 
当然その後就職をしました。音楽で食べるなんて考えもしませんでした。才能がないまま。だけど好きなまま。
 
そんで入った企業は
 
ブラック企業でした。
 
ほんとなんももってねーなーなんて思いました。
 
 
月の150時間のサービス残業(強制的に一時間前に出社 退社は十一時半なんてよくあって)
当時は東京に住んでたのに、山梨まで通勤しろと言われて二時間半。朝六時くらいに目覚めた
のに、遅刻が確定したときは一人で泣きました。
パワハラあたりまえ。暴言あたりまえ。
一体なにしてんだろって。
 
 
うんざりして。もうだめだとおもって実家に帰りました。そこから四年間病院で勤めることになります。そしてボーカロイドの文化に出会うことになりました。
 
 
ずっと青春なんてなかった。ずっと価値なんて作れなかった。僕は。このときが初めての青春だったと思います。自分で作った曲がニッチな層ではありますが、聴かれるようになりました。作曲仲間もたくさん増えました。
 
 
最初100人がマイリスト(お気に入り)してくれたときは泣きながら喜びました。本当に泣きました。それは高校生のころから作り続けてきた僕の音楽の初めての認知と勲章になりました
 
 
そして数千人が認めてくれるようになったり。夢のCDを作ったり。十万回再生してもらえるようになったり。そしたらプライドがうまれてしまったり。嫉妬したり。それでも負けないと作り続けたりしました。
 
 
その後僕は当時そのボーカロイド界隈で付き合っていた女の子に降られてしまいました。遠距離でした。そして、僕は人生は一回限りなのだから、もう一度日本海側の田舎から関東へ上京して、音楽を商業でやってみようと決めました。
 
 
二年間。そう決めて、必死になって僕は音楽を作って作って作って作って作りました。
いくつかは上手く仕事になり、地上波アニメの挿入歌になったり。アイドルのシングル曲になったり。アニメキャラクターソングのCDになったりしました。頑張ったと思います。
 
 
でも、散々でした。何十時間もして作ったものは、音楽事務所、採用企業のさじ加減ひとつです(それが当たり前だとよく取引先に言われました)。
 
百曲くらい作った曲たちのほとんどは集められるだけ集められて採用もつかずに放置されている。
 
押さえといていいですか?みたいな一言とともに、一円も支払われないまま固められた曲。いまだに誰にも聞かれずに封印されたまま。
 
依頼させてくださいと言われてワンコーラス作って納品後、連絡が通じなくなり、仕事にすらならなくなったこともあった。
 
二年間固められて、結果歌う歌手も変更。5回以上のリメイク。結果のギャランティは五万
時給にしたら100円とかです
 
作曲作詞は印税でしかお金がもらえないらしい。編曲として違う人間をつけると言われ、完成品を聞いてみたら自分が作った曲のアレンジをそのままコピー。そのままやりなおしただけ、とか。
 
 
僕が企業作家になりきれなかっただけ。
 
わかってる。
プライドばっかり無駄に育ててしまった。
 
わかってるって。
誰が悪いとかじゃない。それぞれの事務所にも正義があることもわかる。
だってそういう契約でしょ?
 
そう言われたらそうなんだよ。
そのルールでやってたんだよ。
 
業界全体にただよっている雰囲気がつらかった。良い音楽を作ろうとしながら、曲をどんどん捨てて作曲者もつぎつぎ現れるから使い捨て。
 
あーもうやだった。
なんでこうなったんだ。
 
俺はアーティストとしてだってやっていけない。
僕にカリスマ力なんてない。
イケメンじゃないし、人間的魅力がない。
ライブもやってみたスカスカ。そりゃそーだ。
そうなんだよ!
 
まわりに子供みたいに思っている楽曲たちはあっちにこっちに屍みたいにつみあげられている。
誰にも聞かれないままの音楽。
俺って音楽って好きなんだっけ?と思った
 
 
 
そしてうんざり。
 
あーあーつかれたなーもー!
 
こころがぐしゃぐしゃ。
 
なにもたのしくないや。
 
あーあ。
 
なんだったんかなー。
 
 
 
 
 
 
そして二年前ミニマリズムに出会いました。
 
 
僕はゆっくり物を捨て始めました。
心の整理だった。そう思います。
 
楽器も最低限まで捨てきって。ヘッドフォンも。エフェクターも。格好よくなりたかった衣服も、時計も。僕を形作っていた漫画も小説もCDも。ゲームも思い出も信念も!
 
 
やめだやめだ!
もうやめだ!
 
 
ソファーもすてた。本棚もすてた。マットレスも捨てた!姿見鏡もすてた!!
収納ボックスもすてた!!
ぬいぐるみもすてた!
夢も理想もぜんぶぜんぶ!
アーティストとしての自分のキャラクターも!ばーかばーか!
ぜーーーんぶやめだ!!
 
 
 
そして今の僕になりました。
なんか、すげーすっきりした!
ギターすてられなかったわ!
パソコンすてられないわ!!
 
 
さあ!最低限にしたし、すげー心がすっきりした!
 
なんか太ってきたし、食うの捨てるわ!一日一食!八キロ痩せたわ!
焦るとかくだんねーわ!時間できたし瞑想するわ!
煙草まあ、いらねーだろ!数のやめるわ!
部屋広くなったし筋トレするわ!
 
 
 
 
よし!!!
 
 
ブログでこれをみんなに聞いてもらおう!!!!!!!
多分すごい幸せくばれるわ!!!
 
 
 
 
 
 
こんな感じで『みにまるみりん』は出来ました。
 
 
 
 
 
こんな自分語り、読んでくれて、本当にありがとう。
 
 

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