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眼鏡ライターが老眼になって感じたこと

もうすぐ、46歳になる。
年齢なんてただの数字。別に、これまで自分の年齢を公表することにもまったく躊躇はなかったし、年を重ねることによる変化も素直に受け入れていくつもりだった。

でも、私は今その自信をすっかりなくしている。
なぜって、45歳になってからの急激な体の変化に、全然自分の気持ちが追い付いていかない。体力はぐんと落ち、目立つところに白髪が増え始め、ルナルナに忠実なはずだった生理周期も乱れ始めた。ホルモンのせいなのか気持ちもマイナス方向に振れがちで、鏡を見れば目の下のたるみやシミが俄然気になるように。最近インスタにあまり自撮りをアップしなくなったのもそれが理由だ。老いを受け入れるどころか、完全に老いに負けていた。受け入れる準備なんて、まったくできていなかったのだ。

なるほど、これが更年期か。。正直、こんなにもいろいろなことが一度に押し寄せてくるとは思ってもいなかった。まぁ、すべてはマイナス思考になっているからかもしれないのだけど。人により個人差はあれ、こうした体の変化が少しずつ、着実に、いろいろなところに訪れるのだ。

そしてそんなとき、同時にやってくるのが老眼なのである。

ケアすべきことがたくさんあるなかで

もちろん、私は"眼鏡ライター"なので老眼に対して悲観的な気持ちは無い。むしろ「なるほど、老眼ってこういうことか!」と実感できたことに、ちょっと喜びを感じていると言ってもいい。

ただ、もし私がこの仕事をしていなかったらどうだろう。正直なところ、これだけの変化が体に起きているなかで、多少の見えづらさは後回しにしてしまうのでは?と思うのだ。仕事や子育てに追われていれば、なおさらのこと。

そもそも私のように人生の大半を眼鏡とともに過ごしてきた人間ならば、眼鏡を掛けることに抵抗はないし、老眼対策といってもこれまでの単焦点レンズから累進レンズに替えればいいだけだ。でも、これまで眼鏡に縁がなかったなら、そうはいかない。老眼自体はもちろん、いろいろなアラが気になり始めたこの顔に老眼鏡がさらにプラスされることを受け入れるのは、相当ハードルが高いのではないか。。

でも、だからこそ私は声を大にして言いたい。
老眼鏡をテキトウに済まさずに、気分がアガるものを作ろうよ、と。

だって、自分の顔の一部になるものだもの。決して高価なものでなくてもいいから、毎日掛けたくなるような1本を。新しいシーズンのアイシャドウを手に入れたときのように、ワクワクするものを。

私の遠近両用眼鏡。カラーレンズで作っているので眩しさ対策もできちゃいます。

そして、さらに快適な視界を得ることができれば、もっといい。スマホをこれだけ多用する現代、見ることにストレスがあるって、きっとかなりQOLを下げているはずで。「頑張れば見える」と、「すんなり見える」は大違いなのだから。

老眼は、誰にでも訪れるもの。それに、45歳ぐらいから自覚する人が多いと言われているから、40代での対策も全然早過ぎるなんてことはない。平均余命で考えれば、人生の半分近くは老眼鏡のお世話になるといっても過言ではないわけで。それなら、楽しめたほうがきっといい。

いつまでも「ちょっと掛けるだけだから・・・」とテキトウに済ませていては、眼鏡で人前に出ることに、どんどん引け目を感じてしまうはず。なにも自らマイナスな気持ちになるものを身に着ける必要なんてない。それでは、いつまでも眼鏡も老眼も受け入れることができないから。

そのためには、もっと老眼にポジティブに向き合えるよう世の中になってほしいし、眼鏡ライターとしてそのための発信がもっと必要だと改めて思った。最近は「私なんかが何か言っても・・・」と卑屈になっていたけれど、これは眼鏡ライター歴約20年となり、ついに老眼を迎えた私のやるべきことなのだ。

老眼の記事、もっと書いていかなくては。自分の体験を語り、共有し、そして取材でプロの知見にも頼りながら。そこから、何か同世代の方々のヒントになることを届けられたらうれしく思う。


※3月12日 21:23追記
最初、この記事に私がコンタクト使用時に使う老眼鏡の写真を入れていましたが、コンタクトを併用している理由は改めて説明しようと思うので、一旦削除します。


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