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読書メモ|サーキット・スイッチャー |安野貴博

 初めてのコーディングは10歳のときだ。家に転がっていた父親のPCに”Hello World!”と出力した時の興奮は、今でも記憶に残っている。コンピューターの世界はルールが明確だ。コンパイラが吐き出すエラーメッセージはいつだって正しくて、コードが動かないならば、必ず自分が間違っている。メモリの一ビットに至るまで、自分が意図した通りに自在に操れた。理解もコントロールもできない日常とは全てが正反対で、はるかに魅力的に映った。

 「そもそも恐怖なんていう感情はノイズでしかありません。当然、爆発する確率はありますが、結果は運命として定められているとも言えます。だから、我々が心配したところで何の意味もないのです。それに、これだけが、私が目的を達成するための唯一の道なのです。であれば。私には遂行する義務と責任があることは間違いありません。

 「いいですか?自動運転が普及する前は、運転手個人に対して損害賠償が課されていました。あの時代も、高い場合には数億円もの損害賠償が命じられていましたが、そんな賠償を背負わされた個人は破産しか道がなかったものです。しかし、自動運転の時代になると、事故の責任は全てメーカー側が背負うことになりました。それまで多数の人が分散して負担していた損害賠償金が、たった数社に集中することになってしまった。事故の賠償請求リスクを考慮すると、自動運転は、コミットするだけ損をするビジネスになってしまったのです。」
 「社会の発展のために、自動運転技術はすぐに広めるべきものでした。しかし、ルール作りを間違え、インセンティブ構造が歪められたせいで、自動運転ビジネスそのものが成立しなくなってしまったんです。」
(略)
 「そこで我々は名案に辿り着きました!」
 「それが所得の低い、損害賠償金が安い人たちを、狙うこと、なんですね。」外国籍のひとや、女性や障害者の犠牲者を増やすこと自体には意味はないのだ。それらの属性の共通点こそが真の目的だった。平均所得だ。
(略)
 自動車メーカーにとって、事故被害者の所得は、低ければ低いほどよいのだ。「賠償金が高いひとを、よりしっかりと守るアルゴリズムという方が正確です。人の命は経済的には平等ではありません。逸失利益=もし仮に事故にあわなければ稼げたはずの金額は、人によって大きく異なるからです。これは社会的な損失を最小限に抑える、とも言い換えられませんか?」
(略)
 「第一に、すべての原因は我々ではなく、むしろこの社会にあると言えます。新しいチャレンジをする時に、ゼロリスクを要求する文化自体が、賠償金を高騰させました。

 「私たちには義務があります。私たちはそれぞれ意思決定をしたんです。社会の行き先を、スイッチを切り替えたんです。だから、行く末を見届けないといけません。
(略)
 自分にはもはやなにもコントロールすることはできない。しかし、間違いなく、書いてきたコードは世界中でこれからも走り続ける。
(略)
 目の奥に光が戻ったように感じた。義務と責任を持つ者の光だった。

 東京都知事選に立候補している安野さんの書いたSF小説です。天才とはいえ、いろんなことやりすぎだと思って軽い気持ちで読んだのですが、すごい完成度でした。彼の人となりや経験、価値観も垣間見え、とてもよかったです。
 今回当選しなくても、この経験(出馬)からたくさんのことを学んで、粛々と糧にしてゆくひとだと感じています。

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