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七月に金木犀の話をする奴なんて居ない(10/23朝)

この町に定住してからもう半年、入居したての頃に震えた起き抜けの寒さが再来したことで、
季節や不可逆的な時間の流れを嫌でも感じてしまっている。
春、夏と過ごして今は秋だろうか。相も変わらず俺の足元には桜が散っているので、季節感はおろか簡単な曜日感覚すら当てにはならないのだ。

「なんだ、ちょっと前まで早く秋になって欲しいと言っていたじゃないか」

信号を待っていると、男とも女とも似つかない声で話しかけられた。初めは2年前に患った鬱病の幻聴が再来したか、と狼狽えていたが、その声が壁のような金木犀から聞こえていると気付くのに、そう時間は掛からなかった。
今年になって初めて見たような気がするそれに、俺は無愛想に答えた。

「暑いのが嫌だっただけだ、時間が進んで欲しい訳じゃない」

夏の間は、体感の快不快を理由に秋が早く来て欲しいと腐るほど口にしていたが、いざ秋が来てみると、待ったをかけたくなるのは、確かに都合の良い話だ。

「お前も秋が一番好き、と言ってる割には、普段は秋や私のことなんて殆ど忘れている人間なんだろ、皆そうなんだ」

なんて捻くれてる金木犀なんだ。と思ったが、
金木犀の事を今の今まで忘れていた現状と、小学校の卒業アルバムの好きな季節の欄には”秋”と記入していたことを思い出してしまい、すぐに反論できなかった。というか完全に図星だった。
夏が過ぎ去って時間が流れていく切なさと焦燥も、起き抜けの寒さも、暑さを理由に行動を起こさなかったことが実はただの怠惰だったことも、全て忘れていた。
それなのに「秋が1番好き」と平気で口走ってしまうのは、忘れてしまった事を期待が居抜きしてしまったからだろうか。

確かに彼(彼女?)のいう通り、金木犀なんてその最たる例であろう。
この季節になると、文化人を気取る女学生の口から一日に何度も聞く。でお馴染み金木犀だが、私は七月に金木犀について話す人を見たことが無い。もし居るなら心の中で優越感に浸っている事だろう。

「毎年こう咲いたり甘い匂いを撒いても、せいぜい一ヶ月記憶に残るかどうかだね」

「そんなことないよ」

嘘をついた。確かにその甘ったるい匂いを振りまく救命胴衣のような花弁を出さない限り、誰も金木犀の話をしないと思う。もし金木犀が花を出す理由が、自分たちが忘れられないためだとしたら…と反吐の出るロマンチストな詮索をしたくなった。

咲くまで忘れ去られている金木犀を毎年見つけ、秋という時間に
金木犀というアイコンがあったと思い出すと、
茹だる暑さの中で夢想していた期待が、夏が終わるまで忘れていた全てに姿を変える瞬間に出会う。その時が訪れる度に、自分が都合良く秋を好いていた事を恥ずかしく思い、身勝手にも期待外れだと口にしてしまうのだ。
と自分の中で秋というものを振り返っては、納得のいく結論付けをしていた。

「何やら考え込んでるみたいだけど、どうせそんな事私と一緒に忘れるんだから意味のないことさ」

やけに小さい声であったが、本当にこの植物は捻くれていてうるさいと思った。

「どうして、夏が終わる瞬間まで君たちを忘れているような人間に、覚えていてもらうことを、そんなに気にしているんだい」

これを聞いた意図の半分は好奇心、もう半分は嘲笑。
俯瞰を気取った自分の冷笑的な言葉で、
喋りもしない金木犀が揺れたような気がした。
そうだ、金木犀が喋るわけがない。
妄想の玄関で、靴紐を結んでいる自分が姿見に写った。


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