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【あたらしいふつう展】2050年の教育:「花の名前の子どもたち」(琴柱遥)

こんにちは!ミライズマガジンです。

「あたらしいふつう」展、企画の「1000人に聞いた未来予測」。
今回は、コチラの予測をもとにした作品です!

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企画概要はコチラ

今回のは、教育×未来がテーマの物語。
そんな2050年の未来を描いた作品をご覧ください!

【あらすじ】
サクラは3歳の時からインドの北の方にあるラダックで暮らしている。サクラの住んでいる町では、学校の代わりにお坊さんが子どもに勉強を教えている。算数や英語、化学など、絶対に必要なことはそれぞれに家で勉強できるように端末が貸し出されているが、それでも「みんなで集まって勉強をすることが大切だ」とお坊さんは言う。
「学校、うらやましいなあ」
トルコ生まれで姉妹のように仲の良いパパティアが、ぽつんとつぶやいた。
【著者プロフィール】琴柱遥
「父たちの荒野」で第三回ゲンロンSF新人賞(後に「枝角の冠」に改題)。「讃州八百八狸天狗講考」(SFマガジン6月号)「人間の子ども」(ゲンロン11)など。

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 今年こそ運動会に連れていってあげる、とお父さんは言いました。わたしは運動会になんてさっぱり行きたくない、と答えました。
 わたしは3歳の時から、お父さんと一緒にラダックで暮らしている。ラダックはインドの北のほうにあって、あたりを山で囲まれています。お父さんは日本の寺の次男に産まれたお坊さんで、元々はゴンパ(お寺)の建築を勉強するためにこちらまで渡ってきたのだといいます。それが戦争で壊されたゴンパの修復にかかわったことをきっかけに、今ではラダックの文化を保全する仕事として暮らしている。そうしてわたしのこともずっとラダックで育てているくせに、日本の学校に通わせているというのだからむちゃくちゃです。だいたいわたしは友だちといっしょにちかくの小学校にも通っているのに、家に帰ると日本の学校の勉強もしないといけないのです。こんなにたくさん勉強をしていたら、いつか頭が風船のように膨らんでパチンと弾けてしまうに違いありません。

「サクラ、日本の学校ってどんな勉強をするの?」
「数学とか英語とか、あんまり変わらないよ。でも国語と社会科もあるの」
「国語って日本語? 何やるの? 歌とか?」
「キツネがてぶくろを買いに行く話とか勉強する」

 そこで私は日本のおとぎ話だとキツネは人間に化けられるのだということと、魔法で木の葉をお金に変えられるのだということを友だちに説明しました。それからさくらさくらの歌の話をしたら歌ってくれと皆にせがまれて、しかたなく大きな声でサクラサクラと歌いました。サクラサクラ、ヤヨイノソラハ、カスミカクモカ……
 でもこのあたりは一年の半分は雪で凍り付いているし、もう半分も辺りは乾燥して小石だらけの景色になり、どこにも『霞か雲か』なんて見当たらない。ここは春になって桜が咲くと、あたり一面が薄白い花でいっぱいになり、まるでかすみが降りているかのように見えるのだ、という意味だと説明しました。顔から火が出るかと思うぐらいはずかしかった。だってそんなもの、一度もみたことないんだもの。それからしばらくのあいだ、男の子たちはわたしを見るとサクラサクラとはやし立て、そのたびに棒っ切れを持って追い回さないといけなくなりました。全部お父さんのせいです。
 ラダックは青と白の国です。空とトルコ石は青く、山に積もる雪と寺院の壁は白い。わたしも10歳の誕生日のとき、お父さんと一緒に働いているNPOの職員さんからトルコ石の耳飾りをプレゼントしてもらいました。その年のお祭りの時には近所のお姉さんから小さくなった晴れ着を貸して貰い、新しい肩帯とトルコ石の耳飾りを付けて行きました。

「わたしも学校の勉強はよくわかんないもん、サクラと同じだよ」

 そうわたしのことを慰めてくれたのはパパティアでした。わたしの友だち。頭にはレース細工の縁取りがついたスカーフをきっちりと巻き付け、猫のようにぱっちりとした目をしている。パパティアのお母さんはお父さんの仕事仲間で一緒に文化保全の仕事をしている。お父さんたちが仕事に行っているとき、わたしたちは一緒にアルチのおじいさんのところに預けられました。3歳のときからそうでした。
 わたしたちは自分の困っていること、悩んでいることは全部お互いに相談する、何も秘密にしないと約束している。パパティアというのはトルコの野に咲く白い花の名前なのだとか。そういうところもわたしたちは姉妹のようでした。

「なんで運動会なんて行かないといけないのか分かんない。日本の同じ学校に通ってる子なんて、あったこともないのに」

 わたしたちはときどき二人で一緒に勉強をする。外に出て少し離れた石に座り、それぞれの端末と立ち上げてそれぞれの国の学校の授業を受ける。そうして勉強が終わると町の方へと一緒に駆け下りて。
 わたしたちの住んでいる町では学校の代わりにお坊さんが子どもに勉強を教えている。算数とか英語とか化学とか、絶対に必要なことはそれぞれに家で勉強できるように端末が貸し出されているけれど、やっぱり自分の国の学校の授業を受けることも大切なのだよ、とお坊さんは言う。
 わたしの国にはお坊さんはいないな、とパパティアは言う。代わりにモスクがあって、駅にも公園にもお祈りをする場所があるの。日本にはお寺だけじゃなくて神社があるんだよ、とわたしは慌てて答える。それで、みんなお守りを持ってるの。勉強ができるようになるお守りとか、病気をしないお守りとか、交通安全のお守りとか。ふーん、と面白そうな顔をしている友だちの顔を見て、わたしは急に恥ずかしくなる。なんで恥ずかしいのかは自分でもよくわからない。

 サクラ サクラ ヤヨイノソラハ……

 このあたりだと、遠くに住んでいる子は一月に一度だけ学校に来ることになっている。天気が良い日を見計らってお坊さんがスカイバスを飛ばし、あちこちの村から子どもたちを集めてくる。普段は家の畑を手伝ったり、羊を飼ったりしながら一人で勉強している子どもたちがみんな学校にあつまってきて、詩の朗読をしたりグループ研究の発表をしたり、お祭りのための踊りの練習をしたりする。わたしとパパティアはラダックの学校の正式な生徒ではないのですこし離れたところからそれを見ている。
 うらやましいなんて思ってない、と拗ねた気持ちで考える。
 勉強だったらひとりでもできるのになんで学校なんていかないといけないのか分かんない。友だちだっているし、大人になったら自分のやりたい仕事の勉強をできる場所に行くんだし……
 わたしたちより少し年上の女の子たちが、お祭りのための踊りの練習をしている。手を繋ぎ、歌を口ずさみながら身体を前後に揺らす。トルコ石の耳飾りや珊瑚の首飾り、繻子の綿入れと縞のスカート。色々な仮面、五色の飾りがついた衣装にはそれぞれ古い由来があって、仏さまの教えがあり、また、それを守ってきた人々や無くそうとしてきた国の伝説がある。わたしたちは遠くからずっと授業を見ていて、そのうちになんだかしょんぼりした気持ちになってしまう。二人で引き返すことにする。帰り道だと自然と無口になってしまう。
 ここはラダックの学校なので、わたしたちは通うことができません。本当に望んだらできるのかもしれない、けれど、それはラダックの人になると決めることでもありました。それはどこか違う気がする。別に日本人じゃなくなりたいわけじゃない。それに学校の先生にも友だちにも一回にもあったことはないけど、わたしたちはちゃんと自分の国の学校の授業を受けているもの。
 でも……

「学校、うらやましいなあ」

 ぽつん、とパパティアがつぶやく。わたしはびっくりしてパパティアを見る。おんなじことを考えていたんだ、と気がつく。すると急に腹が立ってきて、わたしは思い切りパパティアを突き飛ばしました。尻餅をついたパパティアはびっくりした顔をしてわたしのほうを見た。わたしは大声で怒鳴りました。

「わたしは学校なんてうらやましくないもん、パパティアのバカ!」


 それからお父さんが帰ってくるまで、わたしはいっさいパパティアと話をしませんでした。いきなり突き飛ばされたパパティアは当然怒ったけれど、自分でも何に腹を立てているのかよく分からないから、どうやって謝れば良いのかよく分からなかったのです。でもこのままだと絶交されてしまうと思うとお腹のそこがぎゅっと冷たくなりました。
 ひとりでいるのは、とてもつまらなかった。
 三日後、カム地方まで出張に行っていたお父さんが帰ってきた。パパティアと喧嘩したことがお父さんにバレて、叱られたらどうしよう。そう思っていたわたしに、けれどお父さんは、にこにこしながらこんなことを言いました。

「さくら、おめでとう。学校の先生からお父さんのところにもメッセージが来たぞ」

 なんなんだろう、という顔をしていたんだろう。お父さんはすこし意外そうな顔をして、それからまたにっこりとしてわたしの頭を撫でました。

「先生からさくらの作った俳句を小学生俳句大会に出さないかっていうお便りが来てたんだ。見てないのかい?」
 
 小ひつじを川になげこむ夏の雲。
 
 夏になると、田舎の人は飼っている羊を川であらいます。足をもたれた羊は暴れもしないで大人しく投げ込まれて、その後川から上がってくるのがおもしろい。先生には白い小羊が白い雲のようで面白いね、と褒められました。子羊ではなく小羊、ちいさな羊というのがいいね。他には夏のお日様の下でも溶けないようにクリスマスツリーに綿をちぎった雪を付ける、というような俳句をつくっていた子もいました。やっぱり先生に褒められていた。その子もやっぱり日本じゃなくて遠くに住んでいる。綿の雪なのは溶けないようにするためだというのがいい、と先生は言う。
 他の子に選ばれた子たちは、日本の夏のことを俳句にしていました。
 プール、かき氷、潮干狩り、夕立、ほたる……
 そんなもの見たこともないのに、わたしは日本の小学生なのです。パパティアだっておんなじです。
 その日はお父さんと、それからパパティアとパパティアのお母さんと一緒にご飯を食べました。お父さんはわたしの俳句が選ばれたこと、日本の学校では子どもが俳句を作る授業があるのだという話をして、パパティアのお母さんは英国でもカナダでも俳句が授業に使われているのだという話をしてお父さんをびっくりさせました。食後に出してもらったバラの味がするシャーベットを食べていると、お父さんはわたしの背中をかるく叩きました。ごめんなさいをすると約束をしていたのです。わたしが黙って服の端っこを掴むと、パパティアは変な顔をしました。けれどそのまま、一緒に廊下まで来てくれました。

「ごめんなさい」
「ごめんなさいって、なに?」
「突き飛ばしたりしてごめんなさい……」

 目を真っ赤にしているわたしを見て、パパティアはふわりと笑いました。わたしよりもずっと、おねえさんにみえた。それからやさしい声で、「さっきのハイク、宿題に使ってもいい?」と言いました。
 竹を削って作った何種類もの筆、きれいな絵のついた墨壺、書道用のつるつるした紙。「なんの宿題?」とわたしが聞くと、「習字の宿題」とパパティアは答えました。

「習字の発表会があるの。パパティアは字が上手いから、作品を仕上げてもってくるといいわねって先生に言われたの」

 パパティアは筆の先に墨汁を付け、墨壺に余計な分を吸わせ、さらさらと紙に字を書いてゆく。わたしには読めない外国の言葉。細く太く字を書いてゆきながら、パパティアは言う。

「わたし今度ね、一週間ぐらいトルコの学校に行くの」

 あんまり向こうの友だちっていないから、不安だけど。

「でも、お母さんが言うの。小学生でいられる間に同じ小学生の友だちを作るのは大切だって。いろんな人と会うのも勉強になるんだって。色んな人と仲良くなって、同じところとか違うところを見つけるのは楽しいよ、って」

 それも勉強なんだって。

「はい、できた。これ練習だからサクラにあげるね」

 紙をぎゅっと胸元に押しつけられて、喉の奥に何かが詰まったような気持ちになる。目の奥が砂利でいっぱいになって、すん、と鼻をすすって拳で目元をこする。パパティアはくるりと目を目を回して見せた。

「わたし、学校に行きたいのか行きたくないのかわかんないの。知らない子に会うのは恐いし。だからパパティアに学校行きたいねって言われて、すごく嫌だなって思ったの」

 でもわたしとパパティアも何もかもが同じだというわけじゃない。ただわたしたちはちょっとだけ違うことを考えていた。それだけ。

「じゃあね、サクラが今度運動会に行ったら、お土産に桜の花を持って帰ってきたらゆるしてあげる。……行くんだよね?」
「行く。でも、運動会をやってる頃って、桜は咲いてないと思うよ?」

 パパティアがびっくりした顔をするから、わたしは急におかしくなってしまう。笑うとその拍子に涙がこぼれる。笑っているのか泣いているのか分からない変な顔になってしまう。
 運動会にいこう、とわたしは決める。真夏にクリスマスツリーに綿の雪を飾る国の子もいるだろうし、ひょっとしたら日本には小羊を見たことがない子もいるかもしれない。

「あのね、日本の運動会だとリレー走をやるんだって。練習、手伝ってくれない? バトンを渡すの、けっこう難しそうなの」
「いいよ。そしたら町の子にも行って、みんなで練習しよう。でも日本人って、みんな走るのが大好きなんだね。サクラのお父さん、お正月はずっと人が走ってるとこ配信で見てるじゃない」
「あれはわたしもわかんない」

 パパティアは手を伸ばしてスカーフの端でわたしの目元を拭ってくれる。顔を見合わせる。笑いあう。
 わたしたちはそれぞれ違う学校に通いながら、今日も友だちになる勉強をしている。
(了)

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「2050年の教育」はいかがでしたでしょうか?
引き続き様々な未来をお届けしていきます。お楽しみに!

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