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自己紹介とミライユやってる意味

はじめまして。株式会社ミライユの岡田です。

ミライユは「みんなが羨むミライを創る」という理念のもと、日本の大きな社会問題である少子高齢化を直接解決すること、少子高齢化に伴って起きる人手不足を解決することで、日本のミライの可能性を広げることをテーマとして主にHR領域で事業を行っているベンチャー企業です。

組織が大きくなるにつれ社歴や価値観の異なるメンバーが増えることで多様性はさらに広がりを見せ、さらに日々対外的にも会社のビジョンや自分の思いを伝えていく中で、しっかり考えていることを形として残していく必要性を痛感することも増えてきました。そんなこんながnoteをはじめたきっかけです。

自分が一番であることにしか興味がなかった学生時代~就活

あまり皆さん興味はないと思いますが、自戒のためにも学生時代~今に至るまでの僕の志向の変遷をお話しようと思います。ただこれが今のミライユという会社をやっている意味につながっていくのでしばしお付き合いを。

学生時代はとにかく他の人に負けたくない、自分が一番であれば特に他社には興味はないそんな、よく言えば「負けず嫌い」、でもそんな学生が今目の前に面接に来たら「自分勝手、独善的」そんな言葉の方が適切だったと思います。高校一年生~大学4回生まで続けたマクドナルドのアルバイトでバイトリーダーをやり7年間継続したのも、相対的にその組織の中で上のポジションなりお店をメンバーと回すことやその環境にいることに居心地の良さを感じていたからだと思います。

ただ、本気でアルバイトは楽しかったですし、世界で一番おいしいハンバーガーを作れるのは自分だ!と本気で思っていて、そのためにケチャップをバンズの真ん中に打つ練習やレタスを15グラム一発で取る練習を欠かさず毎日やるぐらいにはかわいい学生でした。

価値観が180度変わったエス・エム・エスという会社での経験

こんな独善的な学生であった僕はその価値観のまま、とにかく一番=社長っしょ!ぐらいの感覚で就職活動に臨むことになります。「5年間で経営者になるための経験が積める会社」でも「仕事は本気で楽しく!」という2つだけの軸で、たまたま一番最初にエントリーして、一番最初に面接をしてもらったエス・エム・エスという会社に直感的にここだ!!と決め、他の会社を1社も見ずに入社を決めました。これが人生の転機で今の自分の9割ちかくはここで価値形成されたものだという自覚があります。

そして2008年、エス・エム・エスという会社に入社。そこで初めて知ったのは、医療・介護業界に特化した人材紹介会社だということ。そうです。何やってるかも知らずに入社したのです。(学生の人にはそんな選び方は絶対におすすめしません。エス・エム・エスはめちゃくちゃ良い会社です!)

何をしているか知らずに入った会社ですので、業務内容には特に違和感はなかったのですが当時驚いたことがあります。それは「企業理念」や「正しいことを正しくやる」といったものに代表される人材理念をこれでもか!!というぐらい意識して、純粋かよっ!って思うぐらい貫く役員陣や上司、同僚がいたことです。新卒の自分からするとオトナってこんなにキラキラしてっけ?って思うぐらいの環境がありました。正しい価値観を貫いて、かつ優秀な経営者やメンバーがいて、会社もおっそろしいぐらい成長してて、気を抜くと振り落とされそうな中で自分も努力することで成長体感が持てて。こんな会社楽しくないわけがないんですよね。実際退職するまでの約5年半、1日たりとも仕事が嫌になったことはないですし、今でもエス・エム・エスLOVEですし、感謝してもしきれないです。なんならこの会社に入ろう!!って勢いだけで決めたのは自分至上一番のファインプレーだと今でも思います。

こんな会社で働いていると次第に自分も「社会貢献することが働く意味」「誰かのために働く」「正しいことを貫く美学」という価値観に変貌を遂げていきます。

正しい思いでメンバーと働く喜びからの~

入社1年半ぐらい経過したころ、会社でコールセンター部門の立ち上げを行うこととなり、当時CRM担当としてメルマガやDMの運用をしていた僕がなぜか兼務することとなりました。はじめは4名の派遣社員の方と始めたのですが3か月ぐらいで20名程度のグループになっていました。

それぐらいイケイケの状態で、「看護師さんのためにがんばるぞ!!」「おーーーっ!!!」って毎日声かけて仕事開始するぐらいみんなやる気があって最高に楽しいチームでした。年度末の3月になると与えられた役割は大幅に達成し、心の中で(年間表彰はもらったぜ!ふふふ。出世するぜ!ふふふ)とほくそ笑んでいました。そんな有頂天な自分は意気揚々と20人のメンバーに「最高のメンバーで来年もがんばろう!!!」なんて言っていました。この後起きる絶望も知らずに、、、

想いがあっても力がないと意味がない

3月末。当時の上長に突然呼び出され、この半年の成果の労いと来期は別のWEB広告部門に異動することが決まったと伝達がありました。自分が採用した20名のメンバーと離れることは寂しかったのですが、WEB広告の部門は入社した時から入りたかったところでしたので、自身のキャリア形成の観点からもとてもポジティブでした。

ただ、その後に聞かされたのはトライアルとしてのコールセンターは一定の役割を果たしたので20名の派遣の方は雇い止めにしてほしいという内容でした。今まで一緒に自分を信じてやってくれていたメンバーで、会社にも貢献して成果も上げ、なんなら自分の給料も上がって、ポジティブに異動をしていく中で、なぜその原動力となったこのメンバーが雇い止めになる必要になるのか理解ができず混乱し、当時の上長に批判的な言葉を投げかけたのを覚えています。(ごめんなさい)

ただその上長は数時間僕の話を聞いてくれて、会社としてのスタンスや今後の方向性、そのうえで僕自身の価値観も肯定してくれました。その時間の中で僕なりに理解できたこと。

・そもそも会社はコールセンターのトライアルだったので3末までの派遣社員の方を採用するという前提だったこと。
・この結果で今後正式にコールセンターを立ち上げるという当初の目的は完遂し役割は果たされたこと。
・今回の事象について、会社も上長も、あと絶対的にメンバーは悪くないこと。それでも雇用を失うという不幸が発生している現実。

周りの誰も悪くないのに、それでも不幸が発生しているとしたら結局僕自身が悪かったのだとようやく気付きました。

・しっかりと会社の戦略を理解できる力があれば・・・
・事前にちゃんといつまでの雇用の予定なのか聞いておけば・・・
・あの時「来年もがんばるぞーーーっ!!」って言っていなければ・・・
・自分にそれでも雇用を守ってあげられる力があれば・・・

そんな無力さと不甲斐なさと、申し訳なさ。結局自分が不幸を生み出した根源である情けなさ。思いで人を引っ張ってしまったからそれを無知・無力で裏切ったことへの罪悪感。そんなもので自分っていったいなんのために働いているんだろう。って初めて考えさせられた強烈なイベントでした。
20人のメンバー一人ひとりに雇い止めを現実を伝えるとその20人全員が「岡田さんは悪くないですよ。楽しかったです!」そんな言葉や笑顔を投げかけてくれたことがさらにその感情を増幅させました。

そしてミライユという会社へ

そんな痛烈なイベントを経験した僕ですが、会社のことは変わらず大好きで5年半の期間を経てそろそろ会社作るか~ってなるわけですが、どんな会社を作るのか考えたときに前述のエピソードをある種トラウマとして、二度と繰り返さないという戒めとして始めたような気が今はします。

・人を不幸せにしないこと(幸せにすることしかやらない)
・思いだけではダメで、それを実現する力を自分が保有すること
・思いを持った若者に、力をつけてあげることで夢を目標にしてあげること

こんなものが起業時のベースの考え方でした。

今ミライユは8年目を迎え、どこまでそれが実現できているかはわかりません。恐らく不幸にしてしまった人もたくさんいると思います。ただ社会人で最初に学んだ、社会貢献意識を持ち、正しいことを正しく行うというベースの価値観や、企業当時に会社に込めた思いは1ミリも変わっていません。

今期ミライユではいったい会社ってなんなの?という【会社コンセプト】とどんな人と働きたいの?という【人コンセプト】を再定義しました。今までの経験や思いを凝縮し、必死に紡いだ言葉です。ぜひ皆さんにもお伝えできれば思います。このコンセプトという名の「思い」を伝えることで、それを実現する「力」を僕自身が付けていかないといけないという覚悟として。

【会社コンセプト】【人コンセプト】を伝えたい

会社コンセプト →ミライユにとって会社っていったい何なの??

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人コンセプト →ミライユはどんな人と働きたいの?

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