見出し画像

「思い通りにならない世界」を生きる



基本的に何事も思い通りにならないと思った方がいい。

もちろん、自分の努力で変えやすい物事もあるが、それでも力が及ばないことも多い。
特に天気や地震のような自然発生的なものは思い通りにならない物事の代表格だが、それらと同じく、人間は全く思い通りにならない。

「人を動かす」といったような行動心理学的なアプローチや教訓はあるが、最後に決めるのはその相手であって、思い通りにコントロールできるわけではない。

それにも関わらず、何事も思い通りに動くという前提(世界観)で生きていると、自分の思い通りに人間が動いてくれないとき、イライラしたり不安になったりする。それは「不寛容」な性格ともいえる。

確かに身の回りは、思い通りに動くもので溢れかえっている。スマホやパソコンに限らず、IOTが進み、色んなものが指示通りに動いてくれる。それらが思い通りに動いてくれないことは、故障や不具合を意味する。

そんな世界で生きていると、思い通りにならない事象が発生したとき、故障や不具合だと判断して、修正しようとしてしまう。それがスマホやパソコンなら正しい態度といえるかもしれないが、こと人間だとうまくいかない。

そのため、はなから「何事も思い通りにならない」という世界観で生きれば、思い通りにならない出来事があったとしても狼狽えたり怒ったりせずに済む。

また、「しなければならない」「してはいけない」というルール・規範意識が行動の動機になっている人は、他人に対しても、「こうあるべき」というルールを押し付け、それにならわない他人に対して不寛容になってしまう傾向があるように思う。

なぜなら、ルール違反者は懲罰の対象であり、それに対する怒りや懲罰意識が正当化されてしまうから、歯止めが効かなくなる。「怒って当然だ!」という気持ちが湧くし、それを「正しさ」と認識して、上から目線で説き伏せようともしてしまう。

ある意味、「スタンフォード監獄実験」のように、「ルールを守る正しい存在」という自己認識を強化することにより、心理的に看守のような役割を獲得し、囚人(ルール違反者)に対して、過度に厳しく接してしまうようになるのではないだろうか。

一方で、「したい」「したくない」といった、自分の気持ちや考えに重きを置いて行動している人は、他人にも自由意志があることを知っているので、ルールや理想を押し付けることもない。

「好きにしてくれ」「自由にやってくれ」と他者に対して、無関心に近い、寛容な気持ちをもつことができる。これはアドラーのいうところの「自他の区別」ができているともいえ、精神的にも安定する。

そのため、真面目な人ほど、ルールへの規範意識が強く、自分自身にも他者にも厳しいため、まるで看守と囚人のような関係性を形成してしまい、不寛容になってしまう傾向がある。(真面目な人ほど自分の脳内に看守のような見張り役がいる。)

自分自身に対して、懲罰思考(過度な自責思考)があると、「すべて自分が悪い」と思い詰めてしまうので、不眠症や鬱病などの精神疾患を誘発してしまうリスクが高くなってしまう。

また他者への懲罰思考は、怒りやフラストレーションを正当化してしまうので、もし相手が自分よりも身分・役割が下であればパワハラ・モラハラをして人間関係や社会的信用を破綻させてしまうし、相手の立場が上の場合、怒りを我慢することで気力を使い果たしてしまい、これもまた鬱病になるリスクが上がる。

一方で、ルールや規範意識がそこまで強くなくて、自分の気持ちや考えを優先させる行動習慣がある人は、自分自身を過度な自責思考で追い詰めないし、自分の気持ちに従って生きることに罪悪感を抱かないので精神的に安定する。

他人に対しても懲罰意識がなくなるので、他人に干渉しなくなるし、他人が思い通りにならないことに怒りを感じなくなる。なぜなら、自分と同じように、他人にも自由意思やいろんな事情があって、ときにはルールを逸脱することがあることを経験的に知っているからだ。

例えば、電車で老人が立っていて、その前の席に若者が座っているとき、それを注意するような規範意識が強いタイプは、その物事の正しさはどうであれ、不寛容になりやすい。思い通りにならない物事と折り合いが悪いので、人間関係もうまくいかない。

その若者にも、座りたいという自由意志がある。確かにルールを逸脱するかもしれないが、怪我や病気をしていたり、何かとても悲しいことや辛い事があって、立っていられないかもしれない。そんな事情があるのであれば、多少ルールを破るような例外的な行動をとるのは仕方ないのではないかと思う。

ルールや規範意識は公共の平和のためには必要不可欠だが、完璧ではない。法の概念には、例外(但し書き)が付きもの。ルールがどんな場合も人の行動を縛れるわけではない。自分の気持ちや考えがルールと折り合いが悪い時は、例外的な選択をとることもあるし、それは他人も同じ。

きっと真面目な人は「しなければならない」「してはいけない」というルールで生きている。正しく言えば、そうしないと認められない過酷な環境で育ってきた。だから、自分の気持ちや考えが分からない。いつかそういう生き方に限界を感じる可能性が高い。私自身、それでメンタル疾患になってしまった過去がある。

だから、少しずつでいいから、「したい」「したくない」という心の自由意志に目を向け、行動してもいいんじゃないかと思う。何事にも例外はあるし、そういう考え方のベースがあれば、自分自身にも他人にも寛容になれるし、精神的な負担が軽減され、平穏に過ごせるようになるはず。

好きなものを食べて、好きなことをして、生きていきましょう。


※自分は適応障害が悪化して双極性障害になりましたが、現在は寛解して、会社にも行けるようになりました。そういった実体験をもとに書いています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?