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嗚呼、万平ホテルはClassicだった。

この度の軽井沢旅行で、初めて「クラシックホテル」と呼ばれるホテルがあることを知った。

『クラシックホテルの会』なるものも存在するそうだ。

日本のホテル黎明期に創業し、戦前・戦後を通して西洋のホテルのライフスタイルを具現化してきたクラシックホテル。現存する歴史ある建造物、歴史上の人物が愛したレストランや客室。ホテルに一歩足を踏み入れて、目を閉じて聞こえてくるのは、長い時を旅した歴史の息遣い。たくさんの物語が生まれてきた、クラシックホテルの旅をお楽しみください。(クラシックホテルの会 サイトより)

加盟しているのは9つのホテル。東京ステーションホテル(東京駅)もその一つ。なぜだか新しいホテルだと思っていたらなんと創業1915年だった。

そして、11月初旬の軽井沢旅行のきっかけとなった万平ホテルは、1894年(明治27年)創業。もとは江戸後期、佐藤万右衛門が旅籠「亀屋」を開業したのが始まりで、明治以降、軽井沢が西洋人に開かれるとともに西洋風のおもてなしを特徴とするホテルとなり、クラシックホテルとしての地位を築いた。

戦時中は米軍に接収されたそうだが、営業再開後、田中角栄とキッシンジャーの会談が行われたり、ジョンレノンが故郷リヴァプールに似た雰囲気を気に入り、1980年に亡くなるまで4年間、毎夏家族と共に訪れるなど、大変に歴史あるホテルである。

そんなホテルに贅沢にも連泊することとなった。


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早朝大阪を出発し、サンダーバードで金沢へ。北陸新幹線はくたかで長野に向かい、そこから特急で軽井沢に到着したのはお昼の1時だった。

カラっと澄み渡る晴天の軽井沢は空気が冷たい。タクシーで万平ホテルに向かう。駅前に不動産屋が並んでいるのを見て、別荘地なんだなと実感する。道路沿いには終わりを告げそうな紅葉。平日のためか人通りは少なかった。

5分ほどタクシーを走らせ、ホテルに到着。一見するとお人形さんの家みたいなロッジ風の外見。茶色の地に白いペンキでMANPEI HOTELと書かれた看板は、創業当初からのもので、この建物の中で一番古いらしい。完璧なレタリングでないのが歴史を感じさせるがシンプルにかわいい。この看板が浮かないような建物にしているのではないかな、、というのはただの想像だが。

中に入ると、丁度ランチタイムだったためか、メインダイニングに並ぶ宿泊以外の客も多く居た。ソーシャルディスタンスを取るために間隔を置いてセットされたテーブルには、ジョンレノンが愛したロイヤルミルクティーを出すカフェを待つ人たちが座っている。その他宿泊客も並び、なかなか賑やかなロビーの様子だ。

ロビーの照明は抑えられており、置きものも設備もウン十年使われ続けていそうな重厚さで、全体的に暖かい雰囲気。日本的な洋風の内装、無理やり例えるとすれば「洗練された牛ほほ肉のワイン煮込み」ではなく「昔ながらのビーフシチュー」といった趣だ。

ホテルのスタッフは、リッツカールトンやフォーシーズンズなどの外資系ホテルスタッフと少し違い、どことなく親しみやすい気がする。少しだけ間があるというか、こちらが落ち着く隙があるというか…そう、佇まいが何か微笑ましいのだ。

軽井沢にようこそ!私たちの万平ホテルへようこそ!ゆったり羽を伸ばしてね!と言いながら迎え入れてもらったように感じる。このスタッフの雰囲気、結構重要だと思う。隙の無い完璧な装いでは、少なくとも私は、心からのウェルカム感を受け取れず緊張してしまうのだ。

部屋は、ジョンレノンが宿泊していたアルプス館(本館)ではなく、ウスイ館のクラシックタイプ。ツインのベッドルームだが、軽井沢彫りのタンスがあり、和室のまったり感を味わえるちょっと不思議な空間だった。

ホテルの様々なところから、この軽井沢という土地と、万平ホテルが積み重ねてきた歴史を感じるのであった。

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アルプス館の階段踊り場のステンドグラス。旅籠亀屋のモチーフだろうか。

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食事には感動した。完璧に私の口に合った。

1泊目はフレンチ。翌朝は和食、その夜は中華。翌朝はアメリカンブレックファスト。

食べることには人一倍欲深く、美味しい食事に払うお金は惜しくない。良い食事をするといつまでもその美味しい記憶をしがみ続けてしまう。そんな食いしん坊の私が特に印象的だったのは、初日フレンチのフォアグラのソテー。生臭さ皆無、香ばしくフワッフワ。そして2日目中華の前菜、リコッタチーズとピータンの和え物と春菊のツナマヨ。意外な組み合わせながら最高にお酒が進む味付け。そしてそして、すべての料理の野菜たち!絶妙に調理されていて、香りも味もテクスチャも完璧に調和していた。こんな感動的に美味しいブロッコリー、他で食べられるかしら…?このナスの官能的な美味しさは何故…? 軽井沢の高原野菜は有名だそうだが、どんな子供でも野菜好きになるであろう味だった。

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肝心の食事の写真は…無し!写す暇もなく食べてしまった。       メニュー表と荷物のタグ、どちらも創業当時のままのデザイン。


メインダイニングでは自動演奏のピアノがBGMを奏でていたのだが、その選曲が個人的にハマっていたのも嬉しかった。和風のステンドグラスが飾られたメインダイニングは1936年築とのこと、非常に歴史ある建築だ(丁度、堀辰雄が風立ちぬを発表した年でもある)。80年を超える歴史ある場所で、現代を生きる私が、好きな音楽を聴きながら、非常に口に合う料理が食べられるというのは、なんだか運命的だなあと思い、余計に特別感を持ったのだった。

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ソーシャルディスタンスで広々と食事ができた。重厚な造りのダイニング。

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万平ホテルには資料館があり、創業当時から今までの歴史物が展示されている。博物館・民俗資料好きとしては見逃せず、見て回った。そこで戦前のごく短い期間、熱海や東京にも万平ホテルがあったことを知った。当時の当主、佐藤万平氏も、大正から昭和初期の日本も、破竹の勢いだったのだろう。戦後の高度経済成長とは違う、古き良き日本の屈託なき成長を想像した。

宿泊帳も面白い。東郷平八郎のサインがあったり、三島由紀夫の住所が書かれていたり(完全なる個人情報!)。他に田中角栄が会談した時のソファ(スプリングが壊れていた)や、ジョンレノンが愛したピアノなどもあり、歴史上の人びとがここに滞在していた事実を感じた。

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写真下手だけど載せておこう。右側の縦一列のステッカーは各地のクラシックホテルのもの。レトロな字体とデザインがかわいい。

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楽しい時間はあっという間に過ぎる。最終日、朝食をとり、チェックアウトした後に、腹ごなしがてら万平通り(万平ホテルから旧軽井沢通りに向かう道)を歩いた。

万平通りは母曰く、まさに「これぞ軽井沢のイメージ」の道だそうだ。真っ直ぐ伸びる道の両脇にはカラマツやナラ、モミジなどがうっそうと繁り、都会では見ることのない落ち葉の堆積が道を侵食している。晴れると木洩れ日が美しい。並ぶ豪華な別荘の数々は、管理されているものもそうでないものも、成功者がここで過ごしたであろう、特別な時間の名残を感じさせる。

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万平通り。交通量はまあまあ多いが、散歩道としては最高。

旧軽井沢通りを歩き、再度万平通りを歩きホテルに戻った。

さあ最後の楽しみ、お待ちかねのカフェだ。ジョンレノンが細かくオーダーを出して作らせたというロイヤルミルクティーを一番の楽しみに、万平ホテルに来たと言っても過言ではない。

お茶をするには中途半端な時間だったため、並ばずに入店できた。こじんまりとした店内からテラスを眺めると犬を連れた客が何組か座っていて、穏やかな休日を楽しむ時間がゆっくりと過ぎている。

注文はもちろん、ロイヤルミルクティー。名物のアップルパイも、一人前を半分に切ってもらい、母とシェアして頼んだ。

ホイップが浮かぶミルクティーを一口飲む。

甘く、深い香りがする。

わ、これは、シアワセだ…!!

アップルパイもしっかり酸味が効いていて、食べ応え抜群。

なんて幸せな時間でしょうか…


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万平ホテルでは鎌倉の『大倉陶園』の食器が使われている。

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大阪に帰ってから、何回かロイヤルミルクティーを真似しようとするのだが全然違う。うまくいかない。

まあ、レシピ通りに忠実に作ったとしても、あの美味しさを再現することは出来ないだろうな。

なんたって、楽しい旅のフィルターが何重にもかかっているのだから。


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『クラシック』というのは、「最高の」「一流の」という意味や、「時代を超えて認められる名作」という意味もあるようだ。

万平ホテルはまさに、クラシックなホテルだった。

贅沢な軽井沢旅行だった。

GOTOキャンペーンも雲行きが怪しい今日この頃、しばし旅の思い出に浸かりながら自粛生活をしていこう。

そして、コロナが無くなった暁には、残り8つのクラシックホテルを制覇しに行こう!

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