フリーランスを辞めて半年。何者かになるよりも、私は私になればよかったんだね
何者かになりたくて、焦っていた20代
エクセルの入力作業しかできない能力低めの事務で、手取りは三十路になっても手取り18万。夫婦仲も不良で趣味もなく、学生時代の友人に会っても堂々と話せる話題がひとつもないから、とにかく昔話に話の流れを持っていくしかなかった。
「プロダクトデザイナー」とか、「〇〇社営業部所属」という自分の名前以外の看板がある人が羨ましい。誰かに、社会に、きちんと認めてもらえてるじゃないか。
転機が訪れたのは30歳になった頃。当時流行り始めたSNSでパーソナルスタイリストの仕事に出会った。
「服を自分で選べない人が、この世の中にいるらしい」という事実にびっくりしたものだけれど、なるほど、暇があれば通販サイトを覗き、仕事帰りは(お金がなくて買えないので)ウィンドウショッピングが日課だった私。
これならできるかも!あと、こういう仕事は絶対にこれから来る気がする!!と思い立ち、独身時代の貯金を使って骨格診断やパーソナルカラー診断の資格を取得。副業として活動していたところ、勤め先が廃業になり、離婚し、流れでなんとなくフリーランスの道を選んだ。
肩書きを自分で手に入れたフリーランス、でもやっぱりなんか違う
フリーランスなら自分で肩書きを名乗っていくことができる。「どうしたらスタイリストになれますか?」と聞いたら「帰りに税務署行って、パーソナルスタイリストですって書いて、開業届出しておいで!」と言われたこともあったっけ。
たまたまタイミングよく診断ブームが起こったのもあり、自分のサロンを持ち、芸能人の診断の取材を受け、企業の依頼を受けて診断記事の監修をしたり、傍目から見ても事業はそれなりにうまくやっていたと思う。
でも、4年ほど続けているうちに、せっかく手に入れたスタイリストの肩書きがだんだんしっくりこなくなってきた。
診断をすること、お客様の服を選ぶことは楽しい。ありがたいことにシーズンごとに自分を頼りにしてくれているリピーター様も増えてきた。でも、なんだかもうしっくりこない。
自分の心にわずかに薄い雲がかかり始めたのを感じつつ、予約入ってるし、収入の柱でもあるので、すぐに辞めるわけにもいかない。産休中にデザインやライティングの勉強もしてみたけれど、どれも本業にしたいほどには熱中できなかった。
肩書きを手放して気づいた、私らしいキャリア
そうしているうちに体調を崩すようになり、去年の秋に思い切ってスタイリスト業を縮小し、3年ぶりに企業で事務として働く道を選んだ。「何者でもない事務の私」を自らすすんで歩み始めたのだ。
ありがたいことに本当にいい人たちに恵まれて、気づけば入社して半年が過ぎる。今やっているのは郵送対応や備品の補充といった総務の仕事から、noteを書く、インタビューをする、写真を撮る、はたまたセミナーのバナーを作ったり幅広い。
そうしてやっと気づいたのは、私にとって「何をやるか」はあまり重要ではないということ。書く、売る、といった"動詞"にあまり惹かれない。だからライターやデザイナーといった肩書きがしっくりこなかったのか…。
それよりも私は「何のために・誰のためにやるか」「誰とやるか」を大切にしたい。ぶっちゃけ今の時給でここまでこだわる必要があるのか、と自問自答しながらも制作物を仕上げている。やれやれ…。
もしかしたら、母という確固たる肩書を手に入れて承認欲求が満たされたのかもしれない。ただ、そうだとしても、パーパスドリブンなキャリア思考が自分の軸だと気づけたことは大きな収穫だった。
青い鳥を探すより、偶然性を楽しみながら目の前の仕事を楽しもう
とはいえフリーランスを経験してよかったこともたくさんある。そのひとつが、計画や手段にこだわるよりもキャリアの偶然性を大切にすること。
求められる場所で、自分のスキルの引き出しから出し入れしつつ、必要なものを付け足していく。人と働く組織だからこそ多くの偶然が生まれるし、あるプロジェクトで必要になったスキルは、大概他でも似たようなニーズがある。副業として自分のスキルを広げていくことだってできるしね!
子育てという不確実性が高く、再現性の低いミッションをこなしながらのキャリア形成には、それくらいの緩さが合うんじゃないかな?
きっとこれから先、何者かにならなきゃと焦ることはないと思う。たくさんお金も時間も使った挙句、何者にもなれなかったけれど、もういいや。
自分の心に従って、私は私らしく、私のままで、私になればよかったんじゃないか。
それにしても、キャリアスクールやコーチング界隈はなぜこうも「何者でもない私」への不安を煽るんだろう。「好きを仕事に」「やりたいことを諦めない人生を」と、もっともらしいことを謳いながら、青い鳥を探せと急かす。嫌んなっちゃうね!
それでは、また!