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褒めると伸びるは本当か?

大学生の時、ニューヨークに語学留学をしました。
授業初日、紙の地図を頼りに学校を探しますが見つかりません。地図によると「Varick Street」沿いにあるばずですが、どこが「Varick Street」か分かりません。
近くにいた、私が思い浮かべる「いかにもニューヨーカーな」スーツを着た男性に聞いてみることにしました。

私「イクスキューズ ミー、ウェア イズ バリック ストリート・・・?」
ニューヨーカー「??? Street?」
私「バリック ストリート」
ニューヨーカー「??? I don't know it. 」

そんなはずはありません。すぐ近くのキャナル ストリート駅まで来ています。
地図を見せ、このStreetだと指さすと、
ニューヨーカー「Oh, Varick Street! It's here!」

結論から言うと、すでに私はVarick Streetに立っていました。
そしてもう一つの結論は、私の発音する「バリック」は「V」の発音が全く違い、ニューヨーカーには聞き取れなかったということです。
ものすごく有名な「Vの発音が難しい」ということ、そして本当に通じないということを強烈に思い知らされました。
そして意気消沈しながら、数十m先のビルの中にあった学校の入り口の扉をたたきました。

「褒められる」の連続

「Oh! Welcome to our college!」
そこからは「褒められる」の連続でした。
英語がうまくないことは明白でしたが、毎日毎日笑顔で褒めてもらいました。中でも一番覚えているのは「私の経験からは、日本人はシャイで積極的に話そうとしないことが多いが、お前はどんどん声に出して伝えようとする。それが素晴らしい。外国語はまずはコミュニケーションできることが大事なんだ。正しいかどうかはその後の話だ」という言葉です。この言葉は、今でも私にとって大事な心の支えであり、外国語でのコミュニケーションの支えになっています。

褒めて育てる

この体験で「褒めて育てる」ことの教育効果の高さを強く実感しました。社会人となり、患者教育をする時も、指導医として若手医師を指導する時も、子どもを対象としたボランティア活動をする時も、極力「褒めて育てる」ようにしています。
ただ、褒めて育てることが、本当に、「普通にやるより」「怒りながらやるより」効果が高いのかはなかなか実感できません。私がそうであったように「教えられる側」は実感できるのかもしれませんが、「教える側」からは、ワンポイントや短期間の指導では大きな変化を実感しづらい点や、長く指導したとしても比較対象がない点で難しいと感じます。
私にとってモヤモヤした疑問でした。

研究がある

2012年に公開された研究結果があります。

運動トレーニングを行った際に他人から褒められると”上手に”運動機能を取得できることが示されています。
いわゆる「伸びる」と「運動機能の取得」が同じ意味かは分かりませんし、私はこの領域に詳しくないため、論文の批判的吟味はできていませんが、「やっぱり褒めるのはいいこと」と思わせます。
興味深いのは「他人に褒められると金銭報酬を得たときと同じ脳の部分が活発に働く」という点です。

アンダーマイニング効果というものもあります。

金銭など外的動機づけが与えられ、「楽しみ」といった内的動機づけが減ると、意欲が下がるというものです。
もし「褒めること」が「金銭報酬」と同じ外的動機づけになるとしたら、過度に褒めるのは注意したほうがよいのかもしれません。

さらっと褒める

ここまで語っておきながら身も蓋もない話ですが、現時点で、私も「褒めることがいいことなのか」「どうやって褒めるのがいいのか」は分かっていません。ただ、「さらっと褒める」のがいいのではと感じさせる、私の体験をもう一つお伝えしたいと思います。

私は「本を読むのが速い」ことでかなり得をしてきています。
「自分は本を読むのが速いのでは?」と気づいたのは大学生の時でした。おそらく今も読まれているかと思いますが、医学部の学生の中で有名な「THE CELL」という教科書があります。

ゆうに千ページをこえる分厚い本で、「読んでさえいない」という同級生もいる中、ほぼ日々の近鉄電車の中で読み終えました。重たい教科書を「CELL bag」と名付けた丈夫な鞄に入れて、筋トレ代わりに持ち歩いていました。

今から考えると、私が本を読むのが速くなったきっかけは、母親の言葉だったと思っています。
私は小学生の頃から漫画「こち亀」が大好きでした。父親が買い始め、私が小学生の頃には自宅に100巻近くあり、毎日すごい勢いで読んでいました。
それを見ていた母親は、褒めているのかあきれているのか分かりませんが「本当に集中力すごいわね」と言いました。

子どもは「こういうシーン」をよく覚えています。
たったこれだけのことですが、「自分は集中力があるかもしれない」と
思い、「集中して何かに取り組む」ことをするようになります。
自分が本が苦手でなくなり、沢山読み、速く読めるようになったのはこのことが大きかったと思っています。

このエピソードは「さらっと褒めている」気がします。「ちゃんとその気にさせる」、でも「内的動機づけをなくすほどではない」。研究で示された「ちょうどいい塩梅」であった可能性があります。

現時点での私の考え

・基本は褒めて育てる
・褒める時は、内的動機づけを壊そうとしていないか注意する
・「さらっと褒める」ことで大きく変えられる瞬間がある


私の中では、「Varick Street」の一件も、とても大きな出来事でした。
意気消沈から始まり、楽しい英語の世界への扉をノックした一連の体験は、あの出来事がなければ別のものになっていた気がします。
あの時スマホがあり、Google MAPで簡単に目的地に到着していたら、同じ体験にならなかったかもしれません。
色々な意味で恵まれていました。


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