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鈴木啓太さん(フリーランスWEBプロデューサー)にお話を伺いました(その1)。

9月27日(金)は、第2回目となる地方創生Miraiサロンを開催。

今回は、「自分らしく働く」をテーマに、フリーランスのWEBプロデューサー&ディレクターである鈴木 啓太さんをお招きしました。実に多くの気づきを頂く本当に楽しいひとときでした。

今回お話を伺うにあたり、私の中で一つの大きな関心を持っていました。それは、いかに予定調和の人生を想定外のものにしていくのか、ということでした。

短大卒業後、コンサート音響の会社に勤め、全国各地でコンサートの会場の設営を行ってきた。出張続きの仕事がハードだったことや、コンサートという全体の中の音響という限られた部分だけではなく全体に携わる仕事がしたい。そう考えた鈴木さんは、1990年代後半に草創期であったWEB制作の世界に飛び込んだ。業界自体がまだフワフワしていて大御所と呼ばれる人たちが存在しない中で、全体に携わりたいという自分自身のニーズを満たしてくれるのが、WEBという世界だったのではないかと感じました。

独学でWEB制作を学び、3年ずつ2つの会社を経て、デザイン業界の老舗である日本デザインセンターに設立されたばかりのWEB部門に転職することとなった。

日本デザインセンターでは、著名なデザイナーとともに無印良品、オルビスといった大手のWEBサイトの制作に携わる中で、WEBプロデューサーとして数々の実績を積んでこられた。

そんな鈴木さんが、なぜ今、山梨にいるのか?

一つのきっかけは、2011年に起こった東日本大震災。当時、東京都稲城市に家族で暮らしていた鈴木さんは、震災後のおむつやミルクなどの不足を心配して、1週間ほど山梨県小淵沢に避難をすることになった。これまで山梨を訪れることはなかったのだが、この避難をきっかけに山梨とのつながりが出来、その後、何度も山梨を訪れることになった。しかし、実際に移住を決断するきっかけとなったのは、山梨にある「森のようちえんピッコロ」との出会いだったという。鈴木さんご自身は東京の下町生まれで、必ずしも自然が豊富な中で育ったわけではないが、むしろだからこそ、子どもには自然の中でのびのびと育ってほしいという願いがあったという。常に自然の中で子どもを育てていくという方針に共感し、ここに子どもたちを通わせるために移住を決断した。山梨から銀座のオフィスまで片道3時間の道のりであったが、過去の短期滞在での経験から、なんとか通勤できるのではないかという見通しはあった。

そして、2012年に北杜市明野に移住を決めた鈴木さん。その前には、移住によって生活費がどれ変化するかも計算していた。東京と比べると家賃は大幅に安くなるものの、通勤にかかる出費が増える。それでもトータルでは引っ越した方が安くなる。これも山梨移住の一つのポイントなのかも知れない。

実は、子育てがその後の鈴木さんの働き方にも大きな影響を及ぼしていく。ようちえんに通う子どもたちの多くは都市圏からの移住者であり、このようちえんに通わせたいという何か共通の価値観のようなものがあった。また、保護者の中には、フリーランスやデザイナーといった、比較的鈴木さんと働き方や仕事に関する考え方が近い方が多かったことも、結果として山梨での新たなネットワークづくりにつながっていった。

しかし、その時点では、すぐ独立やフリーランスということは考えていなかったが、その時は突然訪れた。なんと、勤務先の上司と喧嘩して、その日に会社を辞めてしまったのだ。

その理由はなんだったのか? そこには、組織の中での「力」という問題があったとのこと。この力で物事を進めていくことへの反発、それは、その後の鈴木さんのフリーランスとしての働き方にも共通する大きな価値観の一つではないかと感じました。

では、その決断を後押ししたものは一体何だったのか?それは、山梨に移住していたことだったと語る鈴木さん。狭い業界の中で、喧嘩別れのような辞め方をすると、その後どうしても仕事がしづらくなる。しかし、その時既に山梨に拠点を構え、わずかではあったが山梨でも仕事を始めていた。会社だけに依存せずに、将来について複数の選択肢を持っていたことが、鈴木さん自身の判断の幅を広げたと言えるでしょう。

フリーランスとなった鈴木さんは、以前勤めていた会社などの伝手で東京の仕事もしながら、山梨で本格的に仕事をスタートした。仕事のつながりのきっかけとなったのは、ようちえんの保護者のネットワークであった。グラフィックデザインや写真家など、専門は異なるもののWEBサイトと関係が深い方とのつながりから人や仕事を紹介してもらうことで、着実に仕事を広げてきた。また、仕事の内容にも変化が生まれた。これまで、大きな予算規模で多様な専門家によるチームを束ねる仕事をしてきた鈴木さんであったが、山梨ではチームが組めるほどの予算規模の仕事は少なかった。そこで、これまでのディレクションに加えてご自身でWEBサイトを制作するところまで行うことで、多様なニーズに応えられるようにしてきた。こうした環境の変化やニーズに臨機応変に対応出来ることも、鈴木さんの大きな強みのひとつであると思いました。

鈴木さんの中では、従来のチームで行う大きな仕事と、すべてひとりで行う小さな仕事はそれぞれ別の仕事のような感覚で捉えている。コンセプトづくりから全体計画から制作まで、しっかりとしたプロセスに基づいて進めていくやり方と、まずは限られた予算でサイトを立ち上げ、そこから少しずつ手を加えていく仕事のやり方は大きく異なる。しかし、その2つがあることで、常に新鮮な感覚を持ちながら仕事に向き合うことが出来るし、それぞれで得たことや気づきをもう一方に活かしていくことも出来るのでしょう。

もう一つ、私が特に興味深いと感じたのは、仕事をするときに大切にしていること。鈴木さんは、仕事を受ける以上それは自分で出来る範囲のものか、そしてその仕事が自分に合っているかどうかを考えているという。鈴木さんが「家づくり」に例えるように、WEBサイトの制作は納品して終わりということではなく、その後のメンテナンスも重要であり、必然的に長いお付き合いとなる。そのため、仕事内容についての関心もあれば、担当者の熱意といった人との関係性も大切であるとのこと。言い換えれば、その仕事が「好き」だと思えるかどうかが、大きな判断基準になっているように感じました。実際に予算が極めて限られているものでも、お金ではなく「コーヒー一年分」や「無料宿泊〇泊分」といった物納もあるとのこと(笑)。お金だけではなく意気に感じるかどうか、そこにどんなやりがいやワクワクがあるのかが、きっと鈴木さんが仕事をしていく上で大切なことなのではないでしょうか。

次回に続く。

文責:佐藤 文昭(山梨大学地域未来創造センター特任教授)


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