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なにをやってきたのだろう

10年前くらいから作り続けている資料がある。ずっと積み重ね続け、部署が変わっても作り続けて配信し続けた資料。資料に作者の名前などなく、私が送り続けていても私が作ったものだとは誰も思っていなかったのかもしれない。この10年近く誰からもこの資料についてほとんど何も言われたことはない。見てくれているのかスルーされているのかも分からぬまま毎月送り続けていた。積み重ねることが大切だと思っていたから、黙々と積み重ねてきた。今年の春先少し後回しになったまま、半年近く放置してしまった。作らなくても送らなくても誰からも何も言われなかった。そんな資料がなぜか今、私の知らないところで話題に上がっていて、さて誰が作っているのか?となっていた。うちの部署のはず、と言ってくれた人は覚えてくれていたことがありがたかったけど、その他の人は初めて見たとか、同じような資料をうちも作ってるからそれじゃないか、とか。みんな思い思いのことを言っている。みんな私がずっと送り続けてきた人たちだ。なんならそのうちの1人はあなたが私の上司だった時に、私が作り始めたものであることさえ忘れていた。おまけに似たような資料が重複しても意味がないとまで言っていた。そんな人がまた再び私の上司になろうとしている。部下は上司を選べない。この人は最初から決めてかかる。自分が一番正しいことを言っているのだと。長年やってきたことを誰にも覚えてもらえてないことより、私が誰かの真似事の資料を作っていて、それが重複した無駄なものだと言われたことがじわりと心を傷つける。こういう資料がなかったからこそ生まれた資料なのに。腹は立つけど怒る気力さえ奪われるような気持ちになっていて、心の糸がプツリと切れる音がした気がした。
私は何をやっている人と思われているんだろう。私は何をやってきたのだろう。

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