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幸せを噛み締めて気付いた「苦しさにしがみつきたいのかもしれない」ということ

お米をとぎながら思いました。
幸せだな。平和だな、と。
彼氏が数ヶ月帰国することになり、会えなくなる前に楽しい思い出を作りたい!と思い、近場の温泉旅館へ行ってきました。

きれいなお庭付きの旅館で、部屋からはそのお庭が眺められます。
温泉もこじんまりとしてましたが、体が温もり、肌もつるつるになったような気がします。

二人とも人混みや情報量の多いところにいるとすぐに疲れてしまうので、今回の旅行ではチェックインからチェックアウトまで旅館の敷地内から一切出ず、ホカンスを満喫しました。
最近何かしら考えすぎだったのかずっと頭が痛かったけど、静かで穏やかな場所で過ごしたおかげで楽になりました。
彼も日本で過ごした中で一番楽しかったかもしれないと言っていて、本当に良い旅になったなと思います。

帰ってきて2日間を思い返しても、写真を見ても、幸せな気分になります。
この幸せで明日からまた仕事を頑張れそうな気もするし、一方で現実に戻らないといけないと思うと辛い気持ちもあります。

この夢のような幸せな気持ちと現実の差がしんどい。
私は子どもの頃から、感情の差を減らしたいと思っていました。
楽しいとか嬉しい感情もある程度は疲れるし、悲しいとか悔しいとかそういう感情との差が大きければ大きいほど疲弊するからです。
感情がないわけではなくて、心の奥ではきちんと感情が湧いているけど、それに反応しないように蓋をして制御している感じです。
だから、感情表現も上手ではありません。

社会人になって嫌なことがたくさんあります。
7日のうち5日は仕事。
感情の差を生まないために、感情の基本設定を暗めに設定してるんじゃないかな?と、ふと思いました。
いつも「苦しい」状態であれば、嫌なことが起きても「苦しい」のままで済むし、「苦しいから許してほしい」という甘えもあります。
この甘えは何かというと、例えば疲れて家事をしたくない時、遊んでばかりで楽しく過ごしてたら「もうちょっと家のこともやってよ!」と怒られるかもしれないけど、日々が辛くて苦しい(ふりかもしれない)様子なら大目に見てもらえるんじゃないか、っていうもの。
せこいやり方です。

うーん。
私の辛い、苦しいは人から大目に見てほしい感情の集まりなのかもしれません。
そんな気がしてきます。

楽しくて幸せでも、やりたくない時はやらなくていい。
人からちょっとくらい批判されたって、自分の幸せを守っていい。
それが実践できれば、もうちょっと素直に幸せを感じられるようになるんじゃないでしょうか。
感情の差についても、もしかしたら楽しいとか幸せと感じる時間が増えれば、暗い感情の底上げにつながって、差が小さくなるかもしれません。

でもちょっとまだ幸せになるのは怖いです。

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