見出し画像

憂鬱に浸っていたいのか

昨日の投稿に書いた通り、感情は選択できます。
楽しい妄想をして幸せな気分を味わうこともできるし、嫌なこと辛いことを考えて憂鬱な気分を味わうこともできる。

感情の選択が上手くいかなかったとしても、楽しいことやワクワクすることを求めて自分から動くこともできます。

大学時代の友人に、常に楽しい!と思える方を選択する明るく元気な子がいました。
例えば、旅行に行きたいけど卒論に追われているという状況で、私だったら「行きたいけど卒論仕上げないといけないから無理かな」って諦めます。
でもその子は、「旅行絶対行きたい!そのために卒論を終わらせる!じゃあまず教授に相談して、先輩にアドバイスもらって〜」って感じ。

楽しいことを実現するために、どんどん動く。
楽しいこともやるべきことも諦めない。
そんな感じの子でした。

じゃあ私はなんで楽しい方を選択しないんだろう?
私の中では「楽しい」が少しネガティブな意味を持っているのかもしれません。

子供の頃から、「遊ぶ前に宿題を終わらせなさい」みたいなことよく言われて育ちます。
「よく頑張ったからご褒美に〇〇に連れて行ってあげる」とか。
楽しいことの前には頑張りがないといけないんだ、と言う思いがこびりついています。いまだに。

だから、何か楽しいことをしていても、「私ちゃんとやるべきこと完璧に終わらせたかな?」っていう思いがあります。
それで楽しむことが怖い。
楽しむために背負う責任が怖い。

楽しいことを我慢している方が安全、憂鬱な状態でいる方が人から責められずに済む、そんな気持ちもあるんだと思います。

だから、楽しい方、幸せな方を選択すればいいのにできない。憂鬱に浸ろうとします。
憂鬱に浸ろうとするのは自分の身を守るためなのかもしれません。本当はそれで自分を傷つけているのに。

幸せを選べるようになっていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?