トラウマケアを受けてみた DAY3 (トラウマケアとマインドフルネスの対称性)
普通に育ったはずなのに、なぜか生きづらい。そんな発達性トラウマを抱える私の、トラウマケア体験記。
今日は3回目のセッションだった。
過去の記録はこちら。
前回から今回までの変化
対人関係
そもそも人と関わることを避けているのでエピソードが少ないが、下記のことがあった。
・これは今までもあったことだが、仕事で「私は何の役にも立てていないから、この場から逃げ出したい。この仕事を辞めたい」と思ってしまう。客観的に見ると全く役に立っていないことは無いと思うが、チームメンバーと顔を合わせるとき、苦しい。少し褒められても「本心ではそう思っていないのにそう言ってくれただけだ」と考えてしまう。
・1年住んでいるシェアハウスに居づらい。私が同居人の方と顔をあわせたくなくて避けるようになった。もうすぐ退去することにしたが、一刻も早く出ていきたい気持ち。
日常生活
・前よりは食欲をコントロールできるようになったと思う。夜ご飯と睡眠の時間をあける、朝タンパク質を取るなど意識し、毎日ではないが実行できるようになった。
・noteと英語の勉強を毎日続けられている。他のやるべきことから逃げているともいえるかもしれない。でも今まで何をやっても継続できなかったので、継続できていることは少し自信になっている。
そもそも、トラウマを克服した状態ってどんな状態?(再掲)
理想的な愛着対象との関係
冒頭のカウンセリングで、実家に戻ろうか、東京暮らしを続けるか、迷っていることを相談してみた。実家に戻ると、発達性トラウマの原因となっている家族がいる。
先生によると、「ストレスのインプット、アウトプットを自然にできれば、実家に戻っても良いのでは」とのこと。
これまで私は、ストレスを受けても動じずに平常心を保つべきだと思っていた。「愚痴を言ってはいけない」「人に弱みを見せてはいけない」と思い込んでいた。家族にも、それ以外の人にも。
でもトラウマケアの観点から見た理想的な愛着対象との関係は、嫌だと思ったことはその場で相手に「嫌だ」と伝えられることだという。親に言うことが難しければ、友達やカウンセラーでも良い。
トラウマケアの目標は、「良い人間になろう」ということではなく、愚痴を言うなどの「制約をゆるめていく」ことである。
これからはこのnoteが私の愚痴・弱みを出せる場になるかもしれない。
トラウマケアとマインドフルネスの対称性
ところで、このトラウマケアの考え方は「マインドフルネス」と正反対にあると感じている。
私は以前、マインドフルネス瞑想の元になったヴィパッサナー瞑想の10日間合宿に参加した。そのとき教えられたことは「無我であること」「慈悲の心を持つこと」。
つまり、例えば悪口を言われたとしても「今悪口を言われたな」という事実だけを捉え、それを「悪口を言われた。だから嫌な気持ちだ」という感情に繋げない。
そして「“自分が” 悪口を言われた、“自分は” 悲しい」といった “自分” 主体で考えるのではなく、「悪口を言う人には何か苦悩があるのだ、可哀想に、それを取り除いてあげよう」といった哀れみの心を持つ。
全くの正反対だ。
先述したとおり、トラウマケアでは「嫌だと思ったことはその場で相手に嫌だと伝える」「自我を取り戻す」ことを目指す。
今の私が思うところを述べると、マインドフルネス的思考は、基本に確固たる愛着があり、その上に成り立っているのではないだろうか。
簡単に検索してみると、こちらの記事を見つけた。
正直専門的でまだ噛み砕けていないのだが、マインドフルネスは愛着障害にある面では効果的だが、不足する部分もあるようだ。
もう少し、このサイトを読み込んで勉強していきたい。今のトラウマケアでは根本的な解決までいけない気がしている。キーワードは「ニューロセプション」か。
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