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ミライLABOの設立ストーリー 〜背中を押してくれた人〜

ミライLABO代表の白井智子と言います。
はじめましての方も、いつもお世話さまのみなさんも
読んでくださりありがとうございます^^
今日のnoteはわたしが担当します。
(自己紹介は次の機会でしますね!)

2016年4月にミライLABOは
渋谷区神宮前にひっそりと生まれました。
その当時、こどもの城がなくなり、近くにあった児童館もなくなって
こどもたちの遊ぶ場所がどんどんとなくなっていきました。

当時3歳だった息子は、こどもの城が大好きで
「建物はあるのに入れない」理由がわからず、
前を通るたびに「なんで?どうして入れないの?」と
毎日のように聞いてきました。

■こどもにとって嬉しい場所は、ママにとっても嬉しい場所

こどもの城は、息子が1歳の頃からお世話になっていました。
たくさんのおもちゃや遊具に夢中になる息子を見ながら、
わたしにとっては微笑ましい光景と同時に
「束の間の間だけこどもから解放される場所」でした。

息子はとにかく「ママ、ママ」といつもママにべったりで、
家で過ごしていると、
TVを見ている隙にトイレに行こうとすれば大泣き。
お水を飲もうとキッチンに向かえば泣き、
部屋の扉を閉めれるだけでも泣き、
片時も離れられないくらい、
まーーよく泣く息子でした。笑
(よく自己主張する人だなと)

でも、こどもの城にいるときは、
わたしから離れて(ママの存在を忘れているかのように)夢中になって
一人遊びをしてくれていました。
なので、こどもの城がなくなると聞いたときには息子以上に絶望でした。。。

■背中を押してくれたのは意外な人物

ある日息子がいつもの通り
「ねえ、なんで中、入れないの?」と(だいぶしつこく)言うので
「そうねー、誰か作ってくれたらいいのにね!(怒)」と返すと、
彼も怒りながら「じゃあママが作ってよ!」と言いました。

もう、衝撃です。笑

あぁ、その発想はなかった、と。

実はミライLABOが出来たきっかけは、
そんなやりとりから生まれたのでした。笑

■社名に込めた想い

色々経て(省略しすぎw)会社を作ることになり
会社名は何にしよう?と考えた時、
「ミライ∞LABO」と言う名前がすぐに浮かびました。
たぶん、10分くらいです。笑

調べたらどこも使っていなかったので、
迷うことなく、すぐ決まりました。
あれこれ考えて選んだわけではありません。笑

ミライをつくっていくこども達が、
ただただ、こどもらしく、そのままにいられる場所。
それだけで無限( ∞ )の可能性が広がっていく。
教育しようとか、足りない何かを与えよう、ということはなく
ただただ同じ目線に立ち、寄り添い、
一緒にミライをLABO(研究)していこう。

そんな想いでミライLABOと名付けました。

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