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子育てにおける正解

はじめに

近年、コンピュータの世界の進化がすごいことになっていて、巷ではAIに仕事が取られるだの、ズルする奴が出てくるだの、大騒ぎになっていますね。

そういえば、かつて、マイクロソフトがWindowsを発表し、手書きやそろばんがいらなくなることが許せないという声もあったなぁと懐かしく思います。


子どもたちのAI利用の是非について

さて、教育現場では、インターネット社会となり、手軽にデータが手に入るようになったため、人様の書いた文章の盗用などが容易となり、それをチェックするシステムが作られたと思えば、今度はAIに自動生成させたアートや文章の使用の是非論みたいなことになっていますが、皆さんどう思われますか?

私の私見としては、興味があるなら使ってみればいいということなのだと思うのです。ただ、否定するのはどうかと・・・

断固反対ではなく、自分の環境には合わなかったと思えば、自分は触れないようにすればいいですし、教育現場も、学生に使ってほしくないと思ったら、総括する立場にある国(文部科学省)であったり、学生が所属する大学や高校等学校組織や、学部学科であったり、単位の評価をする先生であったり・・・所属でそのルール化をすればいいのであって、第三者がそれをとやかく言うことではないように思います。

そこで、成人前であれば、ある程度家庭で話し合い、保護者の判断でまだはやいかな?となれば、我が家のルールでは使わないで良いと思います。

たとえば、簡単な計算なら小さいうちから暗算でする練習をさせている家もあると思います。学校などではそうですから、普通のことに感じますね。
一方で、イマドキは自分で計算しなくても、計算なんてできるのだから、電卓(スマホに付いたアプリ含む)や表計算ソフトを使えばいいという意見もあるかもしれません。しかし、これは家では良いけど、恐らく学校ではダメだと言われてしまいそうですね。

ChatGPTの使用についても、まぁ似たような感覚なのだと思います。所属ごとに、使用できる場面とできない場面をそれぞれのル号で分けたら良いだけだと思っています。たとえば、コンピュータゲームなど、通常は学校では禁止ですが、家庭では家庭ごとのルールで、使用の有無や場面や時間的な制限などあり、(一部条例を入れている地域があるようですが)通常は家庭外の方に何かを決める権限は現状ではありませんね。


子育てにおける正解

巷では、ChatGPTの子どもへの影響についての食い違った意見を持つ方へ、反対意見を述べるだけではなく、その方の子育てや教育論の批判やキャラクター設定などまでされている方も出てきて、なんだか議論されていることの方向がおかしなことになっている気がします。

確かに、過剰な教育と感じる部分もあり、そこには愛情はあったのだろうか?という疑問を持たれてしまうのだと思いますし、教育熱心を通り越していると思う方も多いと思います。恐らく、この方の実践した子育ては、お子さま方も優秀でいらしたから成立したご家庭なのでしょう。

一方で、世の中には、自身を取り巻く環境は、教育に無関心であり、その結果、社会に出て困っていると嘆かれる方もいますね。

人間は、生まれながらに持った才能も違いますし、教育の差がその後を変えたのか、そうでないかの検証は出来ませんから、何が良くて、何がダメかということを言うのは難しく、何が正しいかわからないというジレンマがありますね。

ただ、子どものことを真剣に考え、責任を持って養育をすることができるのは保護者しかいないので、親としては、やり直しのできない(元の地点には戻れない)子どもの人生、慎重になるところですし、子育てに真剣に向き合った立場から発言を求められれば、心配する気持ちを伝えることになるのだと思います。


最後に

学校や塾など教育に関わるお仕事の場合は、その学校や塾に在籍している間だけの関りですが、親子は違いますね。子どもも成人し、一人の人間としてやっていくと言っても、それまでの人生、これからの人生に大きく影響していきます。
巷には様々な情報があふれていて、魅力的な感じることもたくさんありますが、実際、どのように自分や家族に影響するものか、現時点ではわかりにくいものが多いように思います。
「情報に振り回されないようにしましょう」などということが良く言われますが、見極めるは実際は難しいのが現状のように思います。




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