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毒母と娘の30年戦争1

母と娘は「親子」「友達」「ライバル」…
色んな関係があるけど、うちは違った。
心休まる家庭…そんなの無縁だった。
この世に生を受けたその瞬間から「戦い」が始まった。
 
私が体験した毒母との親子関係=戦いの記録です。
堅苦しくならないタッチで描いておりますので「こんな母娘がいるんだ~」くらいの軽い気持ちでお読みいただければ幸いです。


私がこの世に生を受けたその瞬間、戦いが始まった。
 
うちの家庭は父親、毒親、私…私は一人娘だ。
 
父親は腕の良い職人、仕事はしっかり、趣味には没頭、性格は穏やかなように見えて実は面倒くさいことが嫌いなので色々無関心を決め込む。金の話は苦手。
 
毒母は専業主婦、幼少期から苦労が絶えなかったらしい。性格は自分にも他人にもキツイ。極度の潔癖症。料理は下手くそ。金に汚い。日本で一番大きい宗教団体の猛烈信者。
 
その結果、私は生まれながらにしてその宗教に入らされた。
それも今後の苦悩へ繋がることになる。
 
 
両親はなかなか子宝に恵まれず、やっとできた子ども…それが私。
だから両親、祖父母に甘やかされて…
と思われるだろうが、そんなことは皆無。
むしろ兄弟がいる子より厳しかった。
 
 
私が生まれて毒母はとにかく「他の子とは違う。優秀な自慢の娘」にしたかった。
そしてそれよりも…「自分の見栄を満たしてくれる娘」にしようとした。
 
 
食が細く好き嫌いもあり、すぐ体調を悪くしていた私に高い食材ばかりを買ってきた。
とにかく食べさせようと手間を掛けた。
他の子のように元気にいさせたかった。
少しお高いきれいな服や靴を着せられていた。
とりあえずこの行動は「良き母」。
 
でも…言うことを聞かなかったり、毒母の思うような答えや行動をしないと容赦なく外に出されたり、叩かれたりした。
 
 
幼少の頃の私は繊細で人見知り、少し潔癖。
繊細な性格がゆえに毎年決まった季節に嘔吐するようになった。
これが小学校高学年まで続く。
 
 
毒母の「見栄っ張りな性格」が明らかに悪化したのは私が音楽教室に通いだした幼稚園生のときだった。
音楽教室は集団でレッスンを受ける。
当然、他の子もいる。
他の子の演奏を聴く。
私の演奏を聴く。
 
下手くそだ!
 
毎日練習をさせられた。
サボるなんて許さない。
1曲につき5回は練習、それが4曲くらいある。
幼い子供にはかなりキツイ。
「弾き方が雑だ」
「まだ4回でしょ!」
「もう1曲あるでしょ!」
 
 
練習は夕方から夕食前まで。
父親が帰ってくる前には終わっているから、私が毒母から厳しく怒られながら練習していることは知らない。
 
 
毒母は父親の前ではあまり怒らない。
外に出されたり、叩かれたりも父親がいないときにする。
 
たまに怒るのを見て父親が「いい加減にしろよ」と注意してくれるが、毒母は

「子育てに口出ししないで!」

と父親の言うことを聞かない。

毒母がしていることは現在だと「幼児虐待」。
でもそれが「当たり前」の時代。
「虐待を受けた子は人間形成に支障をきたす」
と言われているが、その通りだと実感している。

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