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1人反省会

最近、よくやる1人反省会。反芻しまくっている。研究や大学の忙しさに注意をシフトしてなんとかやりこなす日々。

私は楽しいことや自分の欲に貪欲で、その場にいると衝動的に行動する。
その場では権威や周囲の目に対する恐怖はなくて、だからこその衝動性。メタ認知って難しい。
分からないことを分からないと言って、
思ったことをすぐ言う
自分の手の内を明かして、丸裸で挑もうとする
自分の考えに対しての批評にもくいついて、文字通り受け止める。

でも1人になるといろんな場面が反芻する。特に自分が好意を持った人、尊敬する人がいて、その人以外に複数名いるときに反芻が多い。
自分がノリと勢いで言った発言が相手をどんな気持ちにさせたか。自分の評価を下げたんじゃないか。相手だけじゃなくて、その場にいた人達の気持ちや評価も気にしている。

ああ、私もホモサピエンスなんだなぁと思う。
好意を持った人には好意を持って欲しい。
必死に仲間を探している。

前にある人にまぶしいと言われた。
それはたぶん、
挫けても立ち上がってまた挑むから。
まぶしいところしか見せてないから。
挫けるところも立ち上がるところも挑むところも見せれるのがまぶしいのなら

そうだとしたらそれは幼さへの眩しさなのか。

大人になった大人たちが
幼いままの大人に対する感じる
羨ましさなのか
軽蔑なのか

みんな子供時代はあったわけなのだから。

私は心が強そうでそうじゃない。
強そうなところを見せてるだけで、
本当は強くない。

子供のように素直でいることが強そうに見えるのかも知れないが、真相は心が幼いだけな気がする。

私は全部見ていて欲しいのかも。きっとそうだ。
ねえねえ見て見て。そう言う感じな気がする。
特に自分がすごいと思った人に対してそれを発揮する。自分のスキーマはなんだろう。もっと見てもらいたかったのかな?そんな挫折しても来なかったから、挫折したときは誰かに見て欲しいのかな。助けてほしいのかな。でも親に見て欲しいとあまり思わないな。親には私の悩みや欲求は理解してもらえないって思ってるのかな。だけど私はあまり人を選ばずに自己開示して分かってもらえなかったと傷ついて疲れている。
ちゃんと人を選んで開示したい。

多くの人は、大人になるまでにたくさん傷ついて、傷つかないような対処を学習をして、ペルソナを作ったり、本当のことは全部は言わないのだろう。

私は傷つくのを恐れないことが美徳だと思ってる節がある。ある意味、心の自傷行為。
傷つかないように自分を守ってあげるのは悪いことじゃないかもしれない。
だって私もちゃんと傷つくから。傷ついた後に、誰かにすがろうとするから。だから傷つく前に私が守ってあげる。

傷つくことリスト
•尊敬してる人からの評価が下がること
•期待した返信が返ってこないこと
•自分の言動で傷つくこと
•後で考えたら気づくことにその場で気付けなかったこと

やっかいなのは
私が疲れてもいいから批判的な意見を求めたくなることだ。批判的な意見を言ってほしい人は私が持ってないものを持ってる人(独断と偏見)だが。

まとめ
私が身につけるべき装備
•ペルソナ
•how to

追記1
頭の中整理して
友達と美味しいもの食べて
みんなの笑顔みて少し安心した。

ああ、やっぱりホモサピエンスなんだなあ。

追記2
やっぱり私は色んな人に聞いてもらって

そのままでいて欲しいって
あんたの言語化読むの楽しいよって
進撃の巨人もいいよって
渡辺直美みたいな感じって
言ってもらって安心しました。

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