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お別れのとき

おつかれさまです。

昨年12月末に日本帰国しました。

2018年から約5年半のオーストラリア生活を一旦終えました。
ワーキングホリデーで元々は2年を予定していたのに、こんなに長引くとは思っていなかった行き当たりばったりの20代。たくさんの成長があったなーと思い返している日々です。絶賛、2日に1回ひきこもりの生活。笑
思い返すことに時間を費やし、これ贅沢なのか?死ぬ前ってこんな感じかなとか思いながら、なかなか身体が動かず、そうこうしていると疲れやすくなっていることに気づきました。今はそんな自分をじっくり見つめています。

5年半の間にたくさんの出会いと別れを繰り返しました。人に限らず土地も家もたくさん変わって、いつしかそれに慣れてる自分がいたりして。(慣れって恐ろしいんだよなー、本当に)
最近のわたしが思うお別れとは一体なんだろうな〜と思考を巡らせ纏まったような、まだわからないような。ただ一つ得たことは、一度出会って心を通わせた人やそれ以外の場合にも、当然わたしにも、変化は付きものだということ。20代ではこれをたくさん経験して理解したつもりだから、お別れの時に「またね!」と言えたら、わたしの中でその意味は「またね(今とは違うあなたで)!」となる。見える変化もあれば見えない変化も、それら全てが諸行無常だな。ということを学んだ。別れって変化の一部なのか?????

ただ時に「辛い、悲しい」が先行してしまう別れもある、よなあ。今わたしはまさにその分岐点にいて、所謂「お別れ」=「辛い悲しい耐え難いこと」みたいなイメージで頭がいっぱいになりそうな時がある。自分と似たような状況をひどく嘆いてる人をSNSで見てしまったり(架空に近い)、近況報告した相手から悲哀されるなど、さまざまな形でわたしに、それは悲しいことなんだよという情報を与えられる。わたしは、冒頭でも言った通り、今かなり敏感で刺激を受けやすい。気分が下げ↓な時に、それらの情報はかなり毒なのに、受け取ってしまう。そんな時は、それらからは一旦離れて、今まで変化を受け入れることを恐れてきた自分を、自分で認めて存分に辛い悲しい時期を見守ることにした。そして自分に「あなたは成長しているから大丈夫だよ」って自信を持った自分で呼びかけることが、わたしにとってはとても大切。呼びかけることが難しければ、書いてもいい。自信喪失したり、頭の中がぐちゃぐちゃで、この言葉が見つからない時もあるからなあ。書くことはとてもいい。

あとは、泣きたい時の手助けををいくつか持っているとよかったりもするよね。わたしが泣きたい時に観るのは“Midnight Gospel“というアニメ。
ここ3年ほどは不動です。時間があれば、もちろんep 1から観ることを
おすすめするけどわたしは、もう最終話を何度も何度も繰り返し観てる。
そして毎度泣く。笑 泣くの我慢するのやめようってなれるから、いいですよ。それでいいんだよなってなれるし、バスに乗るラストが好きす。
ほんで、この記事のトップの写真のわんこは、作中に出てくるわんこに
そっくりのわんこ。オーストラリアの田舎町で出会った。

まだまだ練習中、でもいい調子だよ〜わたし。私たちも。あなたも。☺️


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