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愛情をどんな風に受け取っているのかを自覚することは、かなり重要。


いつも自信がない人や、自分に厳しい責め癖のある人は、愛情の受け取り方が上手ではない。

人からの親切や手助けに対して『ごめんね』『申し訳ない』という意識の方が強くなりがちで、愛情を受けたということを味わうよりも、相手に負担や迷惑をかけたと感じてしまう。


これは無自覚だったとしても、自分は愛されるはずがないと思い込んでいる場合や、愛について『与える側より受ける側の方が弱者である』とか、『劣っている』という固定観念を持っていたりする。

そうなると、愛情を受けることに申し訳なさや抵抗感が湧くのだ。それではせっかくの行為が、受けとった側の心では違うものになってしまう。

というのも、愛が罪悪感や自己否定感に変換されているからなのだ。

…かなり勿体ない。


たとえば、長時間友人に悩みを聞いてもらった時、

『長い時間聞いてくれてありがとう。とても救われたよ。』と、自然に言える人は、相手の行為を愛情として受け取っている。

それに対して『こんな話ばっかりしちゃってごめんね…』と、言う人の場合、そこに相手の行為に対して感じた気持ちの表現はなく、自分の罪悪感だけを伝えていることになる。


これでは

『せっかくあなたに親切にしてもらったけど、私はダメな人間です。』

と言ってるようなものだ。


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そもそも、自信のない人がその状態からなかなか抜け出せないのは、人から愛情を与えられていても、罪悪感に変換してしまうことによって、より一層自信を失っていく流れを、自ら創り出していることに自覚がないからだ。

自分に厳しく責め癖のある人も同様に、愛情を与えられたことを否定的に捉え、『人に助けられないとダメな自分』として、自分を責める題材にしてしまっているとは露程も思わない。


何はともあれ、人が与えてくれた愛情を、ちゃんと『愛』として受け取ることを意識しよう。

『こうして助けてくれる人がいて私は幸せだな』

この幸福感をしっかり味わえば、与えてくれた相手への想いは、自然と感謝になっていく。

その心で、相手に『ありがとう』を伝えれば、相手も喜びを感じるだろう。

その喜びは、あなたが『与えた』ことになる。これはとても美しい循環だ。


愛とは『与えるもの』とはよく言われている。
自信のない人や責め癖のある人ほど、もっと『与えられる人』にならなければ、と考えるかもしれない。

ただ、ちゃんと受け取れないと、与えるためのエネルギーも湧いてこない。

だからこそ、与えることと同等に、どのように受け取っているか ということも、とても重要なのだ。


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