見出し画像

わたしは移住経験をどう発信したいのか

移住の記事を書きながら、ふと、以前オンラインで話をした移住希望者のAさんのことを思い出した。繋がるきっかけをくれたTさんに連絡をすると、Aさんは今、住まいが決まって移住が具体化している、という。

Aさんは、私と話したことがずっと印象深く残っているらしく「落ち着いたら私に会いたい」と言ってくださっているそう。

なんて嬉しいことだろう。胸が熱くなった。


「移住体験を話す」という貴重な機会

Tさんは、Aさんと私の境遇が似ていると感じ、話す機会を作ってくれた。Aさんの状況や希望を聞きながら「私にはどんな情報を提供できるのか」、ていねいに話をしたつもりだ。

Aさんは、女性で単身での移住。今まで地元から離れて暮らしたことは無い。私はAさんの一番の不安は「初めて地元から離れること」だと感じた。7都府県での居住経験のある私でも、移住前には必ず不安が伴う。また、北国出身という共通項もあり、慎重な性格にも共感と理解を示して、ていねいに話を聞いていった。

話の終盤になるとAさんの表情が少しほころんだように感じた。感覚的ではあるが、私が話したことがAさんにプラスになった、そう思えた。だからこそ、今日は感じていたことが「Aさんに影響を与えていた」という事実として知れて本当に嬉しかった。


わたしは移住について「誰に」「なにを」「どう」伝えたいのか

先日「田舎移住」をテーマに記事を書きながら、私は「誰に」「何を」「どう」伝えたいのか、について考えていた。

例えば、「〇〇町に住みたい人」が居たとして。私は何をその人に伝えられるだろうか。状況によっては、私よりも適した話をしてくれる人物も居るだろう。
結局は「どこに住みたいか」という人ではなく、「どんな人か」「何を求めて移住したいと思っているか」によって、話す内容は違ってくると思った。だから、和歌山、と土地を限定せずに「移住したい人」に、伝えていきたいことに気づいた。


私と「話したい」と言ってくれる人の共通点

先日、ふらりと家を訪れてくれた人も、単身で移住を考えている女性だった。なんとなく感じているのは「移住に不安を感じている人」が、私の話を聞きたい、と言ってくれるように思う。

それ以外にも「私の生き方に興味のある人」も訪れる機会が多い。どんな経緯でここにたどり着いたのか。どんな家に住んでいるのか、どんな土地に住んでいるのか。どんな暮らしをしているのか。何をしているのか。そして、これから何がしたいのか。

みんな様々な質問を投げかけてくれる。実際に家を見ることで、それぞれに想像を膨らませながら、聞きたいことが溢れるのだろう。そして、私はそれに答えるのは楽しくて仕方がないのだ。


むず痒いけど「愛」が行動のきっかけになる

もし、私の生き方が誰かの刺激になったり何かに少しでも影響するのなら、こんなステキなことは無い。そして話している私自身が楽しいと感じるんだから。みんながハッピーじゃないか。

最近、私の行動の原動力は何なのか、と考えた。すると「」というワードが思い浮かんだ。「愛」なんてむず痒いコトバに違和感があるのは否定できないが。
それでも「力になりたい」「感謝を伝えたい」「応援したい」という気持ちは、すべて「」というコトバにまとめられるような気がした。

それらの行動には、見返りを求めていないことが多い、という共通点がある。求めていないのに見返りがあったらハッピー倍増になったりする。
見返りを求めていない。だから、やっぱり愛なんだと思う。


私がしたいこと×ニーズのある場所へ

けっきょくは、私だけが「話したい!」と思っていても、「聞きたい!」と思う人が居ないと意味がない。ただのウザイ押しつけになる。
Tさんは「また相談させて欲しい」と言ってくれた。来週は、私の暮らしに興味を持ってくれた人が遊びに来てくれる。

自分の思いを整理したり、発信しながら、求めてくれる場所を探しに行きたいな、と思う。


(移住や田舎暮らしについて書いています)






読んでくださり、本当にありがとうございます^ ^