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タイパ

 こんにちは。
 みらっちです。

 対費用効果を表す「コストパフォーマンス」と同じように、かけた時間に対する満足度を最大にしようとする「タイムパフォーマンス」に注目が集まっているとか。

 タイムパフォーマンス、略して「タイパ」。

 この言葉を聞くと、真っ先に思い浮かぶのが『モモ』の「時間どろぼう」です。

 ドイツの児童文学作家、ミヒャエル・エンデが書いた物語、『モモ』。

 「時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語」という、副題がついています。

 廃墟となった円形劇場に住み着いた、不思議な女の子、モモ。
 モモは、「本当に人の話を聞くことができる」素晴らしい才能の持ち主でした。モモはセラピストであり、ヒーラーでした。モモに話を聞いてもらうだけで、突然アイディアがひらめいたり、意思がはっきりしたり、勇気が出てきたり、希望が湧いてきたり、自分を尊重したり大切にすることができるようになったりするのです。

 そんなモモに、灰色の男たち、つまり時間どろぼうの魔の手が忍び寄ります。

 灰色の服を着た時間どろぼうは、「時間貯蓄銀行」の外交員です。
 灰色の男たちは言葉巧みに町の人々に近づき、人々は自分でも気づかぬうちに大切な時間を預ける契約を交わしていきます。灰色の男たちと会った記憶は消えてしまうので、なぜ自分がこうも時間を節約しようとするのかさえ覚えていないのです。

 エンデはいいます。

 時間とは、生きること、そのものなのです。
 そして人のいのちは心をすみかとしているのです。

『モモ』より

 時間どろぼうたちは時間を奪うことによって、人々からいのちを、心を奪っているのでした。

 時間どろぼうたちにとって、人々を正気に戻してしまうモモの存在は厄介でした。
 なんとかしてモモを懐柔しようとしますが、失敗します。
 おかしくなってしまった大人たちをなんとかしようと立ち上がった子供たちがモモのところに集まり、大人たちに呼びかけようとしましたが、大人たちは一人も来ることなく、失敗します。灰色の男たちに阻まれたのです。

 モモの大切な友達も、少しずつ彼らに取り込まれていきそうになります。モモはひとりで戦うことになるのです。

 児童文学なので、結果はだいたいご想像の通りだと思いますが、そこにいきつくまでのモモは、助言者であるマイスターホラの助けを得ながら、孤独で過酷で不思議な戦いに、ひとり立ち向かっていくのです。

 私たちは長らく、効率的で合理的なことを是として生きてきました。

 短時間で最大の効果を得られることは悪いことではないし、無駄なことをして時間を浪費することがいいことでもありません。

 しかしあまりにも、現代は情報量が多すぎる気がします。
 そして実際、情報を短時間に大量に取り込む手段は急速に発達していて、それに抗うことがもう、できなくなりつつあります。

 パソコンの画面を開いて、スマホを片手に、動画とゲームを同時に行う。
 映画を倍速で観たり、ファスト動画、まとめ動画を観る。
 
 出だしに集中的に情報が詰め込まれた短い音楽ばかり聴く。
 短くてキャッチ―な言葉に溢れる文章以外読まない。

 何秒も見ずに次から次にスクロールする投稿写真。
 自分に都合のいい人と都合のいい時だけつきあうSNS。

 それらを実際にやるかやらないかは別として、確かに時間は少なくなっているような気がしています。月日が、あっという間にたちます。

 年のせいばかりじゃ、ないみたい。
 
 やっぱり、灰色の男たちの仕業?
 来てたのかなぁ。いつのまに。

 タイパ。
 どうとらえてどう解釈するかは、自分次第、なのかもしれません。

 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

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