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lesson 17 雲のスイッチ

 中学生だった。

 田舎の町の中学校で、見渡す限り果てしなく田んぼが広がっているような田舎の道を、学校まで30分くらいかけて、歩いて通っていた。

 その日はなんとなくたまたま、下校時刻がサトちゃんと一緒になった。

 サトちゃんとは小学校も一緒だったし、家に遊びに行ったこともある。かといってクラスが一緒になったことは無く、「友達」と言い切っていいのかどうか、その時点では、互いに微妙な距離を感じているような間柄だった。

 一緒に帰ろうよ、うん、そうしよう、と歩き出したが、意外とふたりには共通点がない。部活も違うし、一緒に遊ぶ友達もちょっとずれている。どんなことが好きなのかも、何に夢中なのかも、よくわからない。ただ、お互いに「沈黙」には焦れてしまうタイプだったのだと思う。

 なにか。なにか話さなきゃ。黙ったままは気まずい。

 たぶんお互いにそう思い、話の糸口を探していた。

 空を見上げたら、青空だった。

 田舎の青空、というのは、関東の空と全然違う。関東の空というのはわりとベタ塗りの青で、それはそれで気持ちがいいが、わたしたちの田舎の空は雲のバリエーションが豊かな空だった。見上げればたいてい、雲がある。私たちにとって青空というのは「雲ひとつない」ものではなく、アーティスティックな雲のある空がデフォルトなのだ。

「ねえ、あれってさぁ、あの雲さぁ、なんか面白い形じゃない?」

 と、サトちゃんが言った。

 指さす方を見ると、確かに変な形だ。

 え?どれどれ?ほんとだ~。志村けんみたい。アィーンって感じ。

「えええ?アィーン?どっからそんなことになる??」

 少女たちの笑い声が田んぼに響く。

 始まりは、まことに長閑(のどか)なものだった。

 そこから「あの雲は何に見える?」という話にふたりとも夢中になって、しかも結構マトモじゃない突飛な発想が続き、今でいえば「ウケるぅ」みたいな超大盛り上がりになってしまった。互いに「じゃあねぇ」と別れるのが惜しいほどの爆笑が続いた。

 それは本当に、実に、実に、他愛のない会話だった。

 その日から、急速にサトちゃんとの心の距離が縮まった。なぜかポロリと本音が言えてしまう。そのうちに、心の奥にしまっておいたような話をする関係になった。いつも一緒、というわけではない。しょっちゅう連絡を取り合うわけではない。それぞれの生活、それぞれの友達がありつつも、赤毛のアン的に言うと「腹心の友」というものになった。

 それから四半世紀以上の年月が過ぎたが、サトちゃんは今もわたしの「最高に大切な友達」だ。

 大人になってから、彼女が言った。

「いやぁ、あの時、まさか雲の話に乗ってくるとは思わなかった。みんな好きなアイドルとかドラマの話してたときに、まさかの雲。しかもあれ、なんであんなに面白かったんだろうね。今思うと謎」

 私も言った。うん、まさか、雲であんなに盛り上がるとはね。でもあの時は、なんか滅茶苦茶、楽しかったよね。まあ「箸が転がってもおかしい年頃」だったもんね。

「でも、あの会話がなければ、私たち今こうしていないね、たぶん。あの雲からだね、すべての始まりは」

 ふたりの距離を縮めたのは、まさに「童心」だったのではないかと思う。なにかピュアな、無垢なところを、さらけ出してしまった共犯者的な感情が、心の扉を開いてしまったのだと思う。あるいはもしかしたら、ロールシャッハテストみたいに雲になにかを投影して、互いの心に触れていたのかもしれない。

 そして今振り返ると、これがなんだかいかにも「ザ・青春」という感じの話に思える。懐かしくて恥ずかしくてくすぐったい。本当のところ、私もサトちゃんもそんなに人づきあいが上手なわけではなく、友達もそれほど多くはない。人間関係に様々な思いがあったし、すぐに懐に入るような性格でもない。だからふたりは、会話ひとつ、雲ひとつで打ち解けあえたことを、何十年もたった今も忘れられずにいる。

 女同士の友情には、いろんなことがある。紆余曲折あり、感情のすれちがいあり。それぞれに結婚して、子供が生まれて、人の親になって、他の土地に移り住んで。人生の山あり谷ありの風雪に耐えながら、私たちは互いに「だいじだな」と思っている。思いあっている。確信がある。それは、すごいことだ。

 空を見上げれば、雲がある。

 そうすると、私たちは自動的に互いのことを思い出す。時々は「あれは何だと思う?」と心の中でサトちゃんに話しかける。今彼女がいる場所を思い、今彼女がしている辛い思いに思いを巡らす。少しでも癒えるよう、楽になるよう、祈る。私が遠くにいた時も、きっとサトちゃんは空を見上げていた。

 どうやら私たちは、すごいスイッチを手に入れてしまったようだ。地球が存在する限り、空に雲がある限り、お互いを思い出すようになっている。

 そう言えば、一番最近彼女に「会った」のはswitchの「あつまれどうぶつの森」の島だ。遠くに住んでいるし、このご時世だし、お互いに忙しいので、今はそうやって隙間時間を見つけて遊びながら会う。アラフォーだろうがアラフィフだろうがアラカンだろうが、きっといつまでも「童心」を大切にする二人だ。

 サトちゃん、いつも、ありがとね。

 そしてこれからも末永く、よろしくね。

(ちなみに、サトちゃんは仮名。そして本当の会話の内容はお互いの胸にとっておきたいので、文中の雲の会話は創作です。アィーン、とは、言っていない。笑)

#あの会話をきっかけに

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