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Review8 イキロイキロ

 ミステリの読書感想文を書くのは難しい。

 ネタバレは避けなければいけないが、紹介文や書店のPOPとは違い、絶対NGというわけでもない。自分の感想はきちんと書きたいが、そうなるとネタバレせずに書くのは困難になる。
 ネタバレの「ネタ」こそ、ミステリのキモなのだから、キモに触れずに表面的なことだけツラツラ書いても、あまり面白くない。書いていても面白くないし、読んでも面白くない。

 うん。だから、ミステリは選ぶまいと思ったんだよね。笑

 発表になった当初、締め切りまでわりと時間があるから10冊くらいは読んで感想が書けるかなと思った「読書感想文2021」は、あっという間に募集が終わってしまった。やるべきことのある日常を淡々と送っているうちに、買い物しようと街まで出かけたらサザエさんに「あら、やだ。ちょっとオクサン。ご存じないの?やだぁ、もうとっくに終わってるわよ」と言われたような感じで終わった。でもまあ、応募しない感想文というのもまたよい。むしろ心置きなく(?)、少し心の枷を外してミステリの感想が書けるかもしれない。

 『死にたがりの君におくる物語』
 
 中学生の頃は、意味なく「死にて―」などと口にした気がする。「今回の試験やばい、死ぬ―」とかの軽いジャブから「なんかもう、なにもかもが嫌」という思わせぶりまで、いろいろなグラデーションで使った気がする。

 大人の自分はその言葉の強烈さに眉をひそめるが、思春期の動揺は、子供の薄っぺらい経験と思考力の足りない脳味噌は、未熟なカラダに思慮に欠けた「軽々しい」言葉を吐かせたりする。「私なんかクズでゴミ。生きる価値が無い」とか言ってみたり。自意識が芽生え、人と違うことに怯え、排斥されることを恐れ、自立したいと願い、巣を出ることに不安と甘えを抱く。だから「死にたい」のいっぽうで、内心では強烈に死を恐れる。生きたい、と思っている。でも子供だから、「自分の都合のいい世界で生きたい」と思っている。

 死にたいなんてそんなことを言ったら親が聞いたら泣くだろうし私の子供がそんなこと言ったら泣くが、でも内心ではみんなが一度は、そんなことを思う時期だ。少なくとも私はそうだった。心の中で毒を吐いて、バランスを取る。それが思春期というものだ。

 昆虫は幼虫から成虫になるまでの間のさなぎの時間、中でドロドロに溶けていると聞いて戦慄したことがあるが、結局ヒトだって同じことで、一回ドロドロに溶けた後にまた形を作って成人になるのかもしれない、などと、時に思う。

 その時期のヒトを「感受性が強い」「繊細」などと表現するが、そんな状態を、大人になっても引きずってしまうひとがいる。環境を打破できず、自分の内部の世界と外の世界をうまく折り合わせることができずに、苦しむ。そう言う人は、結構、創作世界に走りやすい。現実逃避だ。自分自身にもそういう傾向があったようにも思う。

 この本の要となる作家ミマサカリオリもそんな人だ。ほとばしる創作への情熱は常に自分の内部に向かっている。にも関わらず、他人の心を激しく揺さぶり動かし、影響を与えてしまう天才を持っている。そのせいで、ひとりの少女が自殺未遂をしてしまう。ミマサカリオリ(の作品)に心酔するあまりの、「この話の続きを読めないなら死んだほうがまし」という理由で。

 この物語は、そこから始まる物語だ。
 
 しかし私は、実を言うと、この時点ですでに、結構引いてしまっていた。

 う~ん。いくら『ガラスの仮面』の紅天女がどっちかが気になっても、『ジョジョの奇妙な冒険』が第十部まで行くか気になっても、「作家がいなくてはもう作品が読めない」という理由で、死ぬかな。いくら思春期の少女でも、それが真実本当に自殺の理由とは思わないな。居場所がないんだよね。自分探してるんだよね。自己評価低いんだよね。肯定感ないんだよね。作品の中でたいてい、そういうキャラとして存在させられてるよね。

 しかしですな。この本の少女は徹頭徹尾純粋に、この作家の作品を信じ愛し続け、その作品の中に生きたいと熱望していて、それに結構、衝撃を受けた。

 これは、作家の理想の読者だ、と思う。夢の読者かも知れない。

 そしてこんな読者をもつ作家は、夢の作家だと思う。

 ついでに言えば、編集者も。

 思いがけなく第一作目の作品が爆発的に売れてしまった匿名作家。その後の展開は興味深く、謎解きも絡んでスリリングながら、実のところ根底に流れるのは「愛」の話だった。登場人物のすべてのキャラクターに人を思う「愛」があり、物語を求める理由があり、癒しがある。

 しかしその「愛」とは何か。愛の対象は人ではなく「作品」だ。作家にとっては自分そのものでもあり、自分の手を離れていくものでもある。そこまで思い入れの強烈なファンは、作家を苦しめるのか。支え得るのか。純粋なものは、純粋であればあるほど危険だ。

 ところでミマサカリオリ、という名前を目にしたとき、ついカンザキイオリを思い浮かべてしまった。

 カンザキイオリはボカロPだ。実際、この本を読んでいたら『命に嫌われている。』という楽曲を思い出した。

 死にたいなんていうなよ
 諦めないで生きろよ
 そんな歌が正しいなんて馬鹿げてるよな

 と始まる歌だが、最後は「生きろ生きろ生きろ」という言葉で終わっている。カンザキイオリの曲は、死ぬとか殺すとかネガティブで刺激的な言葉が多用されたり、非常に物語性、独白性のある曲が多い。この『命に嫌われている。』の主人公が人を励ましたいと思いながらそう簡単には歌にできない理由は、「軽々しく」命を扱う世の中への抵抗感と内省だ。孤独のなかに、生きる意味を見出しづらい現実を連綿と告白していく。

 『死にたがり』というのは、本当に死んでしまいたいと願っているわけではない。「別の世界でなら生きたい」のだ。しかし物語を生きることもまた、そんなに甘いものではない。今この世界で生きると言う辛い現実に立ち向かうには、勇気と言葉と物語が必要だ。

 この物語は物語を愛する人々の物語だ。物語によって傷つき、物語によって再生していく。

 誰かに、世の中に、そこまで必要だと望まれるミマサカリオリの才能と僥倖が、羨ましいと感じた1冊だった。

 

 

 

 

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