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lesson 13 図書館

 図書館や書店に行くと、いつも思う。

「ここにある本は、一生かかっても全部は読めないんだな」。

 日本にある本はほとんどが日本語で、読むことができるのに、読みきることができない。世界にはもっと本があるのに、言葉がわからないがゆえに、そもそも読むことができない。図書館は世界中にあるのに、私が行ける図書館はわずかしかない。

 読むことができる本は、砂粒ほど。買うことができる本は、もっと少ない。

 その中で、ちゃんと理解できるのは。

 好きになるのは。

 大好きになるのは。

 奇跡、というものがあるのなら、それだ。


 冷静に考えれば、図書館の本を全部読む必要などない。必要な人が必要な時に必要な本を読むために、本が集められた。それだけのことだ。それでも時々、なんだか落ち着かなくなる。

 本は重い。

 図書館の床は、古い図書館ほど、ギシギシ鳴る。靴の音がしないように気をつけながら、私は図書館の中を回遊する。

 地方の図書館の中には、ときにお金のかかった立派な図書館がある。都会の図書館は、小ぢんまりしているが機能的な図書館が多い。好きな図書館もあるし、滅多にないが、あまり長居したくない図書館もある。新しいか古いかは関係ない。どんな図書館も好きだ。

 1冊手に取る。パラパラとめくり、あまり興味のない本なら、本棚に戻す。その時、これを書いた人は何日をかけてこの本を書いたんだろう、と思う。

 私はずいぶん生きて、なんだかいろんなことを知っているような気がしているが、本を読むと、どんな本でも、何も知らないことを思い知らされる。

 そんな本たちが何千何万と、私を見おろしている。

 本は重い。

 また1冊、本を手に取る。本はいまや、お金を出せば手軽に手に入るようになった。インターネットでポチポチと購入を押せば次の日には届けられる。私は喜び、貪るように読むが、内容によってはそれをまた、手放してしまう。

 図書館の本は、よほどのことがない限り、そこにあり続ける。修繕されたり、書庫の奥にしまい込まれることもあるだろうが、おそらく図書館は、本の終の棲家だ。

 本の1冊1冊に、書いた人がいて、それが嘘でも本当でも、そのなかで活き活きと生きる人がいて、ひとりひとりに波乱万丈の人生があり、その人生は歴史の中にある。

    デジタルになっても、本の「重さ」は変わらない気がする。

 誰かが書いて、私が読む。

 文字という媒介を通して、時空を超えてつながる。愛が、欲望が、裏切りが、怨恨が、戦争が、平凡が、夢が、希望が。親が、子が、友が、恋人が、王様が、職人が、兄弟が、市井の民が。

 そこにある、すべてのものが、つながってくる。

 本は、重い。

 図書館には神聖な静謐と、もの哀しい絶望がある。一生をかけても決して達成することのないものを見せつけられている気がする。

 本には、二重らせんのDNAのように、長大な情報が凝縮されている。文字そのものが、高密度に時間と空間を内包している。ひょっとしたらその重さ故に、私は絶望を感じるのかもしれない。それに比べて、人間の命があまりにも軽く、短すぎることに。

 それでも、私は本を読む。目的はない。あてどなく、膨大な言葉の海に漕ぎ出す。

 絶望の中に希望があると教えてくれるのも、またこのなかの1冊だから。








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