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鎌倉ほのぼの散歩 きっかけ

鎌倉散歩の途中ではありますが、今回は「どうして観音様参りを思いついたのか」、そのきっかけについてお話ししようと思います。

 きっかけは母です。

 「三十三観音」と名のついた霊場は日本全国各地にあります。お地蔵様の霊場もありますので、北は北海道から南は九州まで、それは物凄い数に上ります。

 本場は四国の「お遍路さん」に代表される、四国全土をめぐる四国三十三観音様の巡礼です。かつてはきちんと装束に身を包み、お寺を回ったようですし、今でもする方はいらっしゃると思います。四国にはお遍路さんを大事にもてなす習慣が今も残っているといいます。

 代表的なところでは、関東では、坂東三十三観音様というのがあります。これは関東地方各地とエリアが広くなり広域と呼ばれます。関西では西国三十三観音様が広域にあたります。

 そのほかに、細かい地域に霊場が点在しています。

 母は東北住まいですので、東北のとある三十三観音様に、十年お参りをしました。60代の頃です。毎年友達と車で回ります。田舎だとかなり辺鄙なところにお寺があったりするので、車でないと回り切れません。

 母には母の、そうせざるを得ない願いと祈りがあったのだろうと思います。友達とお茶したりランチもできるから楽しいよと言っていましたが、それでも十年。かなりの根性がないとさすがに十年回ることは難しいと思います。結願の品をとても大事にしています。

 そちらの霊場では、1年目に御朱印帳と白装束に御朱印をいただきます。白装束には決まりがあり、その時点で両親のいない人は白のみ、片親の場合は背中に水色、両親がいる人は背中に赤色がついています。その装束のいたるところに、御朱印をいただくそうです。お参り自体は、般若心経を3回、お寺ごとの真言と御詠歌を3回ずつ唱えるというもので、時折ご住職さんから有難いお話もいただけるとか。

 2年目からは第一札所で三十三枚(以上のこともある)のお札をもらい、最初の1年目と2年目は白い札。3年目は木札きふだ、4年目赤、5年目黄色、6年目水色、7年目紫、8、9年目が銀色、10年目が金色です。そしてお参りに行くたびにお寺に貼ります。

 ちなみに、これらの母の話は当時のことで、今はお寺にお札を貼ることなどが規制されることも多くなってきたとか。変わっていることも多々あるかもしれません。また、母は年に1度回りましたが、年に何度もお参りする方もいるので、正確には1回目、2回目と言うカウントになるかと思います。

 回数だけだと100回以上お参りするツワモノもいるそうで、100回を超えるとお札が錦の織物になります。すごく豪華絢爛です。母が10年詣でている間には観音様の御開帳の年があり(子年だったとのこと)、その年は特別な御朱印をいただけたのでその年だけの御朱印帳が残っているそうです。

 お寺のお札は、貼ってあるのを見つけた場合、はがして持ってきてお守りにしても良いとされています。銀、金、錦は当然ながら大人気で、貼られる傍からはがされるとか。紫は交通安全のお守りになるので、こちらも人気だそうです。母は、何年目かの結願(すべてのお寺にお参りを終えること)の日に、札所で話になったご夫婦から、たまたま錦のお札をいただいたたそうです。

 しかしこの、「偶然100回以上の人に会う」ということは、滅多にないことだそうで、なんとなく母が話しかけたそのご夫婦は、当時でなんと150回以上回っているご夫婦だったそうです。旦那さんが糖尿病になったけれども運動をしないので、お参りながら階段を上ればいいのではとお参りを始めたところ、いつしかそれが100回を超えていたとか。なんと糖尿病は治っていたそうです。心の中を「霊験あらたか」「ご利益」という言葉が駆け巡りますが、33×150という回数を考えると、継続的な運動がいかに健康を支えるかを考えずにはいられません。

 さて、そんな母の話を聞いていたので、いつかはぜひ関東の霊場を回ってみたいと思っていましたが、何か心からそうせざるを得ないようなきっかけがあったら、とは思っていました。というのも、御朱印をいただくのはスタンプラリーではない、ということを母から刷り込まれていたからです。母の十年の記録、御朱印、装束、お札を見る限り、そうそう気軽に行くものではないな、と思っていました。

 そのことは、実際に三十三観音様を回っている時に実感しました。お寺の方にとっては、御朱印はお仕事のひとつではありますが、やはりリズムの中に突然割り込んでくる作務です。予約も何もないわけで、彼らは年がら年中、御朱印を書く人としてスタンバイしているわけではありません(そういうお寺もありますが)。

 中にはもう「この紙置いておきますから、勝手に持って行って」のようなところが無かったわけではないのですが、基本的には住職さんや住職さんに準じるお寺の方が時間を割いて、丁寧に書いてくださいます。私が「三十三観音様」と必ず「様」をつけるのも、あるお寺でご住職さんから、祈りの姿勢としてきちんと敬意を払うべきだと教えていただいたからです。

 お寺にいらっしゃる方が、お参りもせずに、駅や公共施設に置いてある鎖でつながれたスタンプをポンと押す感覚で来る人に対して、嫌悪感を示される方が多いのも当然だと思います。

 信心、ということに関して言えば、私自身がそこまで神や仏を信じているかと言われると、否、と言わざるを得えないのかもしれません。でも長く受け継がれてきた信仰の場やそれを受け継ぐ人々の心を穢すことはできない、という気持ちはあります。

 現世利益ということでしか頼ることのない迷える衆生しゅうじょうを見守ってくださっている、という気持ちは大事にしたいと考えています。

 鎌倉は、比較的平坦で狭いエリアにお寺が密集していてコンパクトにまとまっており、しかも観光地で有名なお寺や周辺の環境など行って楽しい場所が多いというのが魅力です。

 本来はこんなご時世だからこそ、お参りをすべきだったかもしれませんが、個人的事情や諸々の事情を鑑みて中止しています。これもまたご縁。今は、またお参りを再開したい、という逸る気持ちを抑えつつ、その日を待っています。

 今後とも「鎌倉ほのぼの散歩」を温かく見守っていただければ幸いです。

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