映画『そばかす』
先日久しぶりに映画館へ行き、映画『そばかす』を観た。
この映画の主人公は恋愛感情を持たない、いわゆるアセクシャルと呼ばれるセクシャリティである。
近年、アセクシャルを題材としたり登場人物の中にアセクシャルを自認しているキャラクターがいるような作品は増えつつある。
異性愛、同性愛に比してどうしても認知度が低く、存在が認識されづらいため作品の中にはどうしても説明的な部分が多くなりがちに感じられるが、この映画「そばかす」では作中に一度も「アセクシャル」という言葉が出てこない。
それがなんだかとても新鮮で、印象的だった。
家族に対して、自分は恋愛感情がないと伝えるシーンがあるが、基本的には淡々としていて、アセクシャルやアロマンティックの人がこの世の中に当たり前に存在している日常が描かれている。
その当たり前の日常が故に、恋愛のことばかりな世の中や周囲の人間に辟易している人ならどうしたって嫌な気分になるようなことは度々に起こる。
私自身の日常を観てんのかってくらいにあるあるオンパレードで悲しさすら感じるものの、この映画が作られていること自体が、アセクシャルという存在が知られてきている何よりの証拠だと思う。
この映画の存在を知った時、はじめは観に行くか悩んでいた。
アセクシャルを取り扱う作品において描かれる日常は大抵どうしようもなく辛いことが詰め込まれがちでそれを観たくなかったし、逃げ場がない映画館の大スクリーンでそんなもん観て耐えられるのか?という懸念があったからだ。
数日後、主演を務めた三浦透子さんのあるインタビュー記事を読み、観に行くことに決めた。
私自身、自分がアセクシャルと自認して随分経つが、自認した当時はこんな作品も全然無かったしネットで調べに調べまくってやっと見つけたアセクシャルという言葉にかなり救われた経験がある。
恋愛感情が分からないとやんわり伝えても分かってもらえない、そんな人いるわけないと言われることは1番悲しくて辛いことだった。
アセクシャル、アロマンティックというセクシャリティの存在を知ってもらうことって簡単なようで本当に難しいのだ。
この題材にこんなに誠実に向き合ってくれた人たちがいること、その事実がとてもとても嬉しくてたまらなくて、観ないといけない!という半ば使命感を持って映画館へ向かった。
この映画はきっと誰かの救いになる。
こういう人もいるんだなと思うこと、自分だけじゃないんだと知ること。
自分自身を肯定できるような、そんな作品だった。
そして映画全編を通して、主演の三浦透子さんはもちろん素晴らしいけれど、とにかく前田敦子さんの演技本当に最最最高で最強なので、ちょっとでも前田敦子さんが好きな人は全員観てほしい。
三浦透子さんが歌う『風になれ』が流れるエンドロールでは観てるこちら側まで走り出したくなってしまうような気持ちの高鳴りを感じた。
とてもとても素敵な曲で、すてきな歌声です。
生きづらいことが沢山ある世の中だけど、どこまでも走っていけそうな、そんな気分
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