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伝承する味

お正月だ。

わが家はお正月も仕事の夫だが、
餅を食わねば新年は迎えられねぇ!

一応、新年らしいことをする。

元旦は朝からお祝いするし、
夜には蟹だ。

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2日はすき焼きと決まっている。
決めておくと楽だから決めている。

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幼き頃、お正月といえば年末から父方の祖父母の家に行きお餅をついて作ったり、新年のお祝いをする

お陰で餅を丸める速さと美しさはなかなかなものだ誰にも自慢できない特技だが。

その後、父方の祖父母の家から車で20分くらいの
母方の祖父母の家に行く。
父方には従兄弟がいないが、
母方には従兄弟たちも集まる。

小さい頃から、台所仕事が好きだった。
正直にいうと大人が好きだった。
大人の女たちに認められて手伝いの一員とされることが嬉しかった。

大人たちが話す言葉には知恵が詰まっている。
内心「なるほどなぁ」と思いながら聞いてないフリをする。
何もわかってないと思わせておいた方がセキララに
苦労話や誰かの悪口を心置きなく話すからだ。

もちろん、おもしろがっていたわけではない。
大人たちの世界は巧みに建前と本音を使い分けなければいけない。
リラックスした空間では本音ばかりである。

私は女たちの炊き出しや台所仕事で小さいながらも
一員になるのが好きな子どもであった。
そんなことを思い出しながら、

「現在のこの口の滑らかさ、
臨機応変力はあの台所で培ったのではないか?」と気付く。

知らず知らずのうちに
小さな頃から大人の建前を知り、
言葉の使い回し力を鍛えていた。

そんな女たちにもさせてもらえない仕事があった。

「すき焼きの味付け」


すき焼きの味付けはなぜか家長である祖父がすると決まっていた。

砂糖を振りかけ、酒、醤油を回し入れ、
グツグツと煮込むと卵と絶妙に絡む濃厚なすき焼きが出来上がるのだ。

私はそれを伝承している。
味の記憶はほんのりと懐かしさとともに
もう逢えない人を思い出させる。

「祖父」と書いたが「じいちゃん」と呼んでいた。
開業医でいつも本当に忙しくしていたが、
お正月はのんびりしていた。

家長として君臨していたし、
孫であっても散らかしっぱなしのパナシに怒っていた。

孫たちに文学を…と自分の家に図書館を作った。
私はそこで別冊太陽という芸術誌をよんだりサカタのタネのカタログを眺め、宮沢賢治やドリトル先生に親しんだ。

全てが今に繋がるひとつの道である。
味の記憶と結びついて一緒に想い出すのはあの時確かにあった時間の記憶ではないかと思う。



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