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『20年後のゴーストワールド』第1章・私のシーモア(8)頭ポンポン地獄

おじさんとまだ吉祥寺の個室の居酒屋に居る。
金麦をもう何杯飲んだことだろう。
店員さんに「金麦お願いします」と言う度に切なさが込み上げる。発泡酒しか飲めないなら別の酒にすればいいとも思うが酒はビールしか好きじゃないし、アルコール5%ほどのビールならいくら飲んでもやらかすことはないし、記憶も飛ばないし保身のためでもある。おじさんのペースに合わせて飲んだ。飲み放題とはいえおじさんもけっこう飲む。

「あと、そういえば覚えてる?いつもいる江口(仮名)俺またてっきり江口にしつこくされてるのかと思った。君ずっと困ってたじゃん」

江口いうのは、村井のファンでライブの常連の男性である。ちなみに江口と言っても江口豊ではない。数少ない村井の男性ファンだ。私より少し年上で、私は江口からセクハラの被害を受けていた。が、それも村井と懇意になる前のずいぶん昔の話で、ファンの人と関わらない故か、おじさんの情報はだいぶ古かった。関わらないけど噂話はするので、私のことも情報量も内容もアップデートされないまま覚えていたのだった。
かつて私は江口からわかりやすく好意を向けられていた。内気な雰囲気でいつも江口はもじもじしていたが、酒に酔うと身体を触ってきたり、一番ムカつく「頭ポンポン」の常習者だった。私は村井に夢中だったから江口のことはまるで眼中になかった。村井が好きだったけど、当時全然好きじゃなかった自然消滅しかけていた彼氏もいた。その時はただとりあえず座れる椅子に座っていたかったが、江口を椅子として見ることはなかった。

今はもう椅子そのものさえ見つけられず、足が棒の私なので遠い目になってしまうが、昔はファン仲間の男性に好かれてしまう問題もあった。同じ趣味のサークル仲間みたいなところから彼氏が出来たらそれはそれで良いことだと思うが(とりあえず理解のない彼氏からライブに行くことを禁止されたり、ライブに行くことに対して不機嫌になる現象は回避できるし、一緒に楽しめたら万々歳)
同じ音楽が好きという最大の共通点はあるものの、江口に関してはそれだけで他に好きになる要素は何もなかった。当時私が好きだったのはステージの上の人であって、よほどの善人とか仏様じゃないと勝てる要素はなかった。私も好きになったらどうしようもない気持ちはわかるので、その気持ちを無下にもできないし、だからと言ってちゃんと線を引かないと相手は相当イリュージョンがかかっているからどんどんぐいぐいくる。「彼氏もいるし無理です、やめてください」と一喝すれば済む話でもあるが、その時は周りのたいていシングルのファン仲間のお姉さま方のストイックな圧のある雰囲気に話を合わせていたので、彼氏がいることは言えなかった。

「あぁ、あれもキツかったですね。好きでもない人に頭ポンポンされるのは。生理的に嫌いになって顔を見るのも嫌になりました」

「でもさ、イケメンに触られたら嫌な気分しないでしょ?あとは清潔感があるかでしょ?」

「……(はっ?)」

江口も薄顔ガリ細で、細いからと昔ながらのXSサイズのバンT着て、丈が足りてなくておかしかったけど……(今男性もトップスのクロップド丈は流行ってはいるけどもそういう意識したおしゃれではない)清潔感はある方の人だった。江口の過度なボディタッチがあまりにつらくて現場で会っても話さないように距離を取ったら、その後は向こうも諦めたのか落ち着いて、気まずくはなくなって普通に談笑できるくらいの仲間でいられた。もう江口のことはすっかり忘れていた。

しかし、江口のような人は他の現場にも、村井と別れてから他の畑に行っても多数存在した。頭ポンポン常習者は、99.9%「頭にゴミついてる」と同じ手口で髪を触ってくる。しかも大抵触ってくるやつは、距離感がバグっていてすでに私と付き合ってるかのごとく俺の女感を出してくる。何故そうなるの……怖い。おめでたいやつすぎる。実際たぶん頭にゴミは付いてないと思う。私のように抜けてる者はひょっとしたら本当にゴミが付いていたかもしれないが。しかしそう言って、とっさにゴミを取ってくれる役は気を許してる人だけにしてほしい。仮に本当にゴミが付いてても自分で取るし、なんなら髪を触ってくるくらいならゴミ付いてたままの方がマシ……それくらい嫌だ。ゴミが付いてる、その事実だけ教えてくれるだけの方が親切でありがたい。触れるのは倒れたか溺れた時の命に関わる時だけでいい。

それよりおじさんの発言……清潔感があれば多少のボディタッチは許されると思ってる?だからボディシートで清潔感?怖い。こちとらの気持ちは完全無視。怖い。それも通り魔だ。極端な例ではあるが、タバコが苦手な私はチバユウスケの副流煙なら受け止められても、その他の人の副流煙はオールNGのようなものだ。どんなに清潔感があろうと性格が良かろうとビジュアルが良かろうと……よほど好きな人以外ダメなものはダメ!触ってはダメ!昔流行った注意書き「※ただしイケメンに限る」ってやつも顔面だけのイケメンなら無理なのだ。おじさんはこの注意書きを額面通りよく考えずに受け取っているようだった。

こんな感じだから、世の中セクハラはなくならないんだと思った。辛い。しかも「頭ゴミついてるよ」みたいにいかにも善意です、な気持ちをちらつかせて触る自称イケメン達。辛い。

おじさんの過去の栄光を聞いたり、好きな作品の制作現場の話を聞いたり(それはオタク心に面白かった)ずっと語り尽くせない「昔話」に話は弾んでいた。私も長年おじさんの携わった作品を聴いてきて、大抵の話のボールは詳細説明不必要で打ち返せるから、おじさんも気分が良さそうだった。そう「昔話」だからまだ良かったのだ。イーニドがレコードマニアのシーモアに対して、好きを突き詰めて自分の世界を持っているところに尊敬の念を抱いた、みたいな気持ちの場面は私とおじさんに関しては残念ながらこの瞬間だけだった。あまりに短い。

村井の話なんてしたら泣いてしまうかと思っていたが、涙も出てこないほど所々ドン引きしながら私は話を聞いて、話を合わせていた。ただひたすらに金麦を飲みながら。おじさんはずっと黒霧島のソーダ割りを飲んでいた。

「こんなに話してくれる方だと思ってませんでした。ライブハウスで見かける時は、重鎮オーラがすごくて話しかけたらいけないと思ってました」

「人の話を聞くのも、話をするのも好きです。でも今日会って普通のおじさんだってバレちゃったかな〜〜!」

ここのおじさんのセリフを是非覚えておいてほしい。
今後のストーリーでこのセリフに補足訂正が入る様子を、懲りずに見届けてほしい。勘の良いあなたならもう赤ペンで訂正してもらってかまわない。

ここは吉祥寺で歩いて帰宅できるので、終電は関係ないけど気づけば終電はとうにない時間、結局お店の閉店時間までおじさんと話続けていた。

閉店して外に出た。

「背高いですよね、身長何センチですか?」
私はアパレル販売員で、メンズの服の販売もしているのでなんとなく男性の身長と体格を見たら服のサイズの検討がつくのだが、おじさんは態度と相まってさらに大きく見えてよくわからなかった。とりあえずXLサイズぐらいとしか。

「俺?179センチ。君は?あっ、待って当てる!」

「……?????」

「155センチ」

「あっ当たりです」

「女の子は君より小さいと横に並んだ時バランスがおかしいから、君ぐらいがちょうどいいなぁ」

身長差24センチ、おじさんは上機嫌そうだった。
これがアラフィフとアラフォーの会話だと思うとクラクラする。辛い。世の中にはおじいさんおばあさんになっても恋をする人はしているが、それもこんなノリなんだろうか。

背が179!!脳内で岡村ちゃんの「聖書」が流れた。リアルに30代半ばの中年の時に、20コ下のTeenagerと付き合っていたというおじさんと並んで吉祥寺の商店街を歩いた。おじさんの彼女はたぶん、おじさんのヤバさがわからない、まだ目がくらんでる自我が芽生える前の年齢じゃないと無理だったのだろうなと思った。背の高さとはっきりした顔面の自信がおじさんの拗らせを加速させているようにも思えた。

帰りに懲りずにもう一軒飲みに行った。
激安居酒屋だったけど、私はやっと生ビールが飲めた。
ここからはもう初回特典が終わり割り勘だったので、ノーダメージを装っていたおじさんの下心は村井のショックとともに消えたのかもしれない。

脳内BGM
左右「神経摩耗節」

おじさんの逆ワードセンスを浴びる度に神経摩耗していたが、「ブックレットの中の人」だからそんなはずはないと幻滅したくない気持ちとせめぎ合っていた。歌詞のごとく他人の中からも、自分の中からも神経摩耗した。

この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
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