詩と秋と掘り炬燵、恋の夢
久しぶりに神戸の夢を見た。
むかし、職場で知り合ったおじさま、Kさんが登場する夢だった。痩せてひょろりと背が高く、雨の日も風の日も、冬も春も―、紙切れみたいに薄い黒コートをひょいと引っかけ、ひとり飄々と歩いていたKさん。「月夜の電信柱」、見ていると宮沢賢治のお話を思い出した。細い声でぼそぼそ喋り、時折こそっと冗談を交えるKさんは、学生時代からずっと詩を書いていて、数年に一度、自費で詩集を出していた。一度、私もその表紙絵を描かせてもらったことがある。
” 遠い空から降って来るっていう 幸せってやつが
あたいにわかるまで あたい煙草をやめないわ ”
長いこと喫煙者だった私に「プカプカ」の歌を教えてくれたのもKさんだった。いつも冗談ばかり交わしていたが、ひとり詩を書き続けるKさんの生き方に、私は少なからず敬意を抱いていた。
今ではもうお孫さんもいる、そのKさんが、夢の中ではちいさい男の子を連れた独身だった。痩せっぽちの子連れ狼(古っ!でも確かにそんな感じ)みたいなKさんに、なぜか友人A姉さんが恋に落ちる。ある時、ふたりのただならぬ関係、そのはじまりを匂わせる微妙なやり取りを、偶然私が垣間見て…という、いかにもな展開で、「え?!姉さん、そうやったんか…Kさんと!?」と動揺しつつ、私は何も見なかったことにする。その内話したくなれば、姉さんから話してくれるやろ。そう思っていると、案の定、「なぁ、今夜どう?」姉さんからお誘いがかかる。
巨大な掘り炬燵が並ぶ居酒屋に、ふたり連れ立つ。その掘り炬燵が足を突っ込んで腰掛ける、通常の掘り炬燵ではなく、掘られた部分、つまり普通は足を入れる部分に座り込み、箱の中にすっぽり収まって酒を飲むというつくり。見ればいろんな人がぎゅう詰めになって炬燵の底で飲み食いしている。私と姉さんもそれっ!と炬燵の中へ飛び降りる。日本酒をちびちびやりながら、「なぁ、この間Kさん、見てん」と姉さんが切りだし、私はどぎまぎしながら次の言葉を待っている。―と、不意に聞きなれた声が背後でし、慌ててふと振り向くと、これまたかつての女上司・Cさんが、私のすぐ後ろで飲んでいた。
「あたしの先輩に聞いたんだけどね、年取ると〈よろこび〉という感情だけが残って、あとはうっすら消えてくみたいよ…」
とCさん。
「ううん、違うと思う。悲しみも怒りも恥ずかしさも、消えてなくなったりしない…。今もぜーんぶ、ここにありますもん。」
とんとん胸を叩く私。
「だけど…たぶん。うまいこと生きられるようになると、バランス取れるようになると、よろこびがでっかく育つから、だから他の感情がちいさなった気がするだけ。だけど、消えたわけじゃない。ずーっとここに、今も…」
そんな話をしている内にお開きとなり、姉さんとふたり、夜の街へ流れ出る。すると、焼き鳥屋の提灯の前に、件のKさんがお子とふたり突っ立っていて、向こうはこちらに気づかない。ぽつり、姉さんがいう。
「なぁ…、〇〇ちゃん(Kさんの子の名前)。あれ、ちゃあんと誰か、女のひとに手かけてもらってる顔やんな…」
「…」
「…そうかぁ、誰なんやろ」
日本の秋の夕暮れの、あの沁み入るような朱いろ、人恋しさ、甘ったるい切なさが全編に色濃く漂う夢だった。「あ、夢だったか…」少しずつ目覚めながら、ああ、日本の秋、あの生活の匂い―と、目を瞑ったまま夢の中の色、匂い、手触りを何度も反芻する。もったいなくて。こっちの秋だって、秋はやっぱり切ないのに…と、寝ぼけた頭で苦笑しつつ。切ないは切ないけれど、パリの夕暮れをいくらうろちょろしたところで、日本人の私には〈生活〉の匂いがさほど感じられない。ちょっと小ぎれいすぎるのだ。ところが私の〈秋の切なさ〉は誰かの暮らし、ひとの日々の営みの、その何でもない一コマと結びついたとき、いよいよ鮮やかに脈打つようで、だから暮らしの気配がしない〈秋の切なさ〉は、どことなく物足りない。
たとえば路地裏のさんまを焼く匂い、煮物の匂い。〈夕げ〉というやさしい言葉を口の中に転がしながら、誰かの食卓を想像して歩く、家々の低い軒先。カラスの鳴く声、赤く染まったうろこ雲。気忙しい夕方のスーパー、にぎやかなポップ文字の横の、気の早い鍋物コーナー。商店街の喧騒、踏切のカンカンカンに、飲み屋から漏れてくる炭火の煙、縄のれん。四角く区切った鍋にぷかぷか浮かぶ大根、湯気、お出汁の香り、熱燗…。ふるさとは遠きにありて、思ふもの。
日本中(いえおそらくたぶん、欧米諸国と比べアジア中のあらゆる国で)、いたるところに生活の、暮らしの匂いがはみ出し、こぼれ落ちているように感じるのは、やっぱり私が日本人だからでしょうか。ぽっと灯りの灯りだした窓々の、その内側の光景を手に取るように思い描ける、だからこそ、早くおうちに帰りたい、そうちょっぴり切なくなる秋なのでしょか。それとも今や、〈待っていてくれる人〉が現れて、ただいまといえばおかえりと返してくれる人がいると知っているから、ひとりじゃなくなったから…だから。〈よろこび〉が大きく育った分、〈切なさ〉はちいさく鳴りを潜めて、パリの街に紛れてしまった、それだけなのでしょうか。
うふふ