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12/1095 逃げていること

まだまだ逃げていることはたくさんあると思う。わかっちゃいるけど、後回しにして、何とかやらなくて済む領域まで持ち越してしまいたい、というようなことがある。

そのひとつが今仕事にある。データ分析だ。データを分析するっていうやつだ。(2回言った)

数字で提示してその理由や根拠をはっきりさせるのがデータ分析の目的だが、これがもう不得意だ。もちろん、それのほうがわかりやすい人が多いというのもあるだろうけれども、何をどう算出してどう表示すればよいのか?それが自分で考えても全くわからない。だから今回このミッションが課せられた私は、「了解!」とか言いながら頭がフリーズしてしばらく何も手を付けなかった。

これは逃げている状態だ。それは自分でもわかっているもんだから、一週間が経過したころに、恐る恐る上司に「わからないから教えてほしい」と申し出た。「苦手なのはわかっているし、自分でチョチョッとデータ見て大体のことはわかったけど、急がないからとりあえずやってみてよ。」と言われ、急がないのならゆっくりやればいいや、と勝手な解釈をしてそこからまた一週間が経過した今日。

どうなった?と笑顔の上司が席までやってきた。やべーやべー、なんも手つけてないや。と思い、明日の午後に30分ほど上司に報告の時間を確保して、今日徹夜でやろうと覚悟して帰宅した。

夕飯後、子供たちが宿題をする傍らで1時間ほど、まじめにデータ分析をなんとなくしてみたところ、なんとなくグラフが出来上がった。出来上がってくると面白いもので、1時間程度で何となくのデータが出来上がって満足して今これを書いている。

いや、きっとこんなデータを期待しているのではないことは重々承知なんだけれど、私が満足したのは、やっぱり逃げずに取り組むことって清々しいなという感覚なのだ。

私がデータ分析から逃げているのは、数字は嘘をつかないというあまりにも鋭い事実なのかもしれない。ごまかすことのない事実を見せられた時に、言い訳できずに狭い部屋に追いやられるような窮屈さを、身体が感じるのだ。この感覚が、きっと苦手なのだと思う。

事実をまっすぐにみることでしか超えられない領域がある。それが提示しているものが、自分自身にとっての事実だということを受け入れる強さ。受け入れられない弱さ。まさにそれを見せられているようだと、今日の私は思ったのだ。

苦手なこと、能力が低いこと、劣っていること、それらが自分にとっては関係ないと目をそらすのではなく、自分にもそういう部分があると認め受け入れる強さ。

私はそれに憧れているのかもしれないし、手に入れたいのかもしれない。

逃げずにまっすぐに取り組んでみること。上手でなくていいし、完璧でなくていい。弱いまま、できないまま、逃げずにちゃんと伝え続けてみること。そこが自分にとってのテーマなのかな。

日常のいろいろなところに気付きってあるよね。それに気付ける余裕を持つ人で、在りたいなぁ。

あどまーに!

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