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10/1095 身近な人が見せてくれる、自分が目を向けてあげるべきこと

珍しく父からの着信。出られなかったのでかけなおすと、話しておきたいことがあるから私と妹との3人で会って話したいという。まぁ、母のことについてだ。

父も、母も、それぞれに思い込みが強いし、それぞれに頑固だし、それぞれに責任感が強い。それぞれが自分が正しいと思っていて(思い込んでいて)、自分の正義を主張して、相手が「おかしい」という視点で見るから、いかに現実を平和に生きていたって、彼らにとっては「おかしい」世界なのだ。彼らにとっての真実はそれなのだ。

でも現実的に波風立てたくない父は、適当に聞き流しているもんだから、母にとっては本当に面白くないのだろう。ちゃんと話を聞いてもらえないことが寂しさになっているんだけれど、それを認めるのが悔しいから、相手がおかしいことにして責めるの構図。

寂しいことは寂しいって、言えたらどんなに楽になるだろう。

そしてお気付きの人もいるだろうけれど、この構図はほぼ丸ごと、今の私にも当てはまる。父は夫で、母は私だ。このあまりにも似ているパートナーシップの構図。今の私が目を向けるべきポイントを、まざまざと、はっきりと明確に示してくれる父と母。

私は思春期の頃から父に対してイライラすることが多く、彼の発言に苛立つことが未だに多い。いい加減私もできるだけ話を聞くようにして、何か言う時も柔らかにやさしくを心掛けてはいるものの、父も私の発言に敏感に反応して若干けんか腰になる。あるいは馬鹿にしたような言い方をする。と、私には聞こえるくらいの程度に、父と私の間には何かしこりのようなものがあるのだ。

私も父を馬鹿にしている節がどこかにあるし、話をしても仕方ないとあきらめているところもあるように思う。けんかになるような面倒なことには、一切関わりたくないという感じだろうか。

でもこうして逃げ続けてきている部分を、夫を通して私に見せてくれることは多い。そして今日は張本人から直接電話で話をされるという出来事であれば、やっぱりちゃんと目を向けてあげるべき時なのだろう。

ちゃんと向き合うというのは、もちろん父とガチンコで話すということも悪くはない方法だ。けれど、結局父を通して、夫を通して、見せられている部分が自分の内側にいるということだ。それだけ自分の内側で抑圧されている、もう一人の私の声に耳を傾けてあげるということこそが、一番大事にすべき点なのだと思っている。

でも頭でわかっていても、現実身近な人の東映を通じて内側の自分を見せられるというのは、なかなかに高いハードルである。おいそれと慶弔モードに入って穏やかに受け止めるということが、なかなかにできない。でも、少しずつ少しずつ、できる範囲で受け止めてい聴くことで進んでも行くのだろう。がんばろ。

あとは、あれだよね。いい子ちゃんのふりをしないことだよね。どう思われようと、相手がどんなに取り乱そうと、私が思うことはしっかりと言葉にして伝えるということ。私はどうしても感情が高ぶると泣いてしまうので、できるだけ泣かないように言葉にして伝えるということを避けてきた節がある。コミュニケーションか上手なようで下手よね、と昨日のリーディングでも言われたところだ。そうだそうだ、まさに私はそうなのだ。一番大事なところを、きちんと言葉にして伝えることから逃げてしまう。そこを、少しずつ少しずつ、挑戦していきたいと思っている。

書くことはできるのにね、本人目の前にして言葉にして伝えることの難しさよ。でも今回こそは目をそらさずに、まっすぐにやっていくことに挑戦しようと思うよ。

あどまーに!


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