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2024年夏

2024年7月10日(水)

弟へ。愛をもらってももらっても潤うことのなかった心がいつかの瞬間は満たされることがありますように。

2024年7月11日(木)

私は自営業をして食べていくことができるだろうか。考えなければ。真剣に考えなければ。考えても仕方ない。

2024年7月15日(月)

生理がパッとこない。ちいさな血が布を汚し続けるだけの毎日である。あまりにも経血が多くて外出が困る回もあれば、今回のように「きても大丈夫だよー?」と声をかけても一向に始まらない回もある。今回はこのまま終わってしまいそうだ。しかしこの異様な疲れはホルモンバランスのせいか、酷暑のせいか、新しい環境に適応しようとする強度のストレスのせいか。家に帰って荷物をおろすとしばらく床にくたばってしまうし、夕飯が終わって腹がふくれればソファで仮眠をしてしまう。なんとか這いつくばって亡霊のようにお風呂に向かう自分を褒めてあげたい。

2024年7月19日(金)

週末は、CVを整える。この先三か月のプランを立てる。私は一生ひとところに落ち着いて暮らせない星の元に生まれたようだ。新しい地に着地した瞬間から別の地へどうジャンプするかを考え始めている。本当は落ち着きたいのに、うまくいかないのは生きるのが下手なせいなのだが、もうそんな自分を責めるのは不毛だからやめにした。感情を入れずに動こう。動くのみだ。

2024年7月22日(月)

疲れているのか年齢のせいか、パッと言葉が出ないようになった。単語がパッと出て来ない。言いたいことも簡潔に話せない。意識と訓練かな。

あと「他人との、共通の話題での会話」が極端に減っていることも原因のひとつと思われる。たとえばイスラエルのガザ侵攻について本当は語りたいがそういったことについて、語りたいと思ったそのときに語れる間柄というものが、家族間ですらままならない。すると自分の脳内だけで、簡略な言語と雑な理解で溶けていってしまう。言語化されないまま忘却されていってしまう。言語化し、他者と意見などを交わすことで言語は立体的になり、脳に定着する。

2024年8月1日(金)

しばらく思いつめていて日記を書けていなかった。日に日に今の新しい職場が合わないことを肌でひしひしと感じ、打開策はもはやないと悟った。それにしても毎日暑い。こんな厳しい暑さでは、思考が難しい。

2024年8月3日(土)

焼き尽くされるのではというぐらい暑い土曜日。友達とランチをした。お盆の時期はスピリチュアルセンスが研ぎ澄まされるのかもしれない。ふらっと鳥越神社に立ち寄って手を合わせながら、そういえば神社に行きたいとなんとなく思っていたことを思い出した。同じようになんとなく、占いに行ってみようかということになって、なんとなくその場で調べて深く考えず、近いからここにしようかと決めた占いは、女性の占い師が一人でやっているということだった。古いアパートの薄暗く急な階段を上っていると、異世界にまぎれこんだような錯覚を覚えた。小さなアパートの部屋にはガネーシャのタペストリーとヒーリングミュージック。がさがさと音がするので振り向くと、小さなケージにうさぎがいた。

この人は視えているとしか思えない霊視だった。友達の占いを聞いていても、友達が一言も伝えていないことを言い当てており、鳥肌が立った。

私は柔軟性があって行動力があるが衝動的すぎて失敗するきらいがあるらしい。全部当たっている。素直な人とも言ってもらえた。子供みたいだな、私。

私は占い好きで、長年お世話になっているミディアムの人もいる。玉石混交のスピリチュアル界隈から信用に足る人をかぎわけて、この人だと思った人だけに長くお願いしている(もちろん失敗も多々あり)。

この日たまたま出会ったこの占い師は、これからもお世話になりたいなと思えるくらいの精度だった。タロットと霊視で占ってくれる。

今まで何度か挑戦して失敗したことも、時期じゃなかっただけらしい。

今の仕事を辞めるのと、この人生で絶対一回は海外に住んでみることを改めて決意できた日だった。夏はこの世と目に見えない世界が近くなる。なんとなく、だけど確実に引き寄せられたような、白昼夢のような土曜の午後だった。

2024年8月15日(木)ゴミ屋敷の話

またしばらく日記を書かなかった。会社のお盆休みを含むと10日(土)から数えて今日でお休み5日目。このお盆休みは家の大掃除をやった。母の華道の資材、父の絵画の画材や、可燃ごみの置き場にしていた「納戸」を一掃して、父の部屋にするプランだ。両親は家庭内別居のほうがお互いの精神状態のために良いだろうということで、このたび父に部屋を用意することにした。

父が捨てきれずどんどん増えてゆく巨大なキャンバスや、描き終えたスケッチブック(しかもサイズが規格外にデカい。。)の山。六畳の納戸で、雪崩が起きている。父は捨てられない病気なので、父の部屋を作ると言っても一切掃除には協力せず。老いた母が一人でやるには物量、サイズ、重量が全て規格外だし、何を捨てて良いかわからないのでほとほと困っていた。それで、お盆休みを利用して私が手を入れることになった。

先述したように父は捨てられない病気で、破れて色褪せた使い古しのカバンや、描き終えたスケッチブックなど、通常なら使用済みとして捨てて良いようなものも全て保管しておく。画材屋で買い物したときのショッパーをためこんだものが死ぬほど出てきた。棚と棚の狭いすきまにビニールのショッパーが、床から天井に届くほどの高さにぎゅうぎゅうと押し込まれており、父の心の病を改めて実感した。

捨てられない病気の人に「これもう捨てていいね?捨てるよ?」などと可視化させて確認させてしまうと100%取っておけと言われるので、いちいち聞かない。まず紙類を処分した。スケッチに水彩絵の具で色づけた描きかけの(完成した作品はほとんどない)絵や、絵画展のお知らせ、美術館でもらってきたチラシ、もう退会した絵画スクールの古い名簿などなど、無限の紙類はほとんど捨てた。書き終わったスケッチブックのうち、サイズの小さなものは捨てた。「とってある」ということが安心感に繋がっているだけで、何をとってあるかまではどうせ覚えていないのだ。

大きいサイズのスケッチブックがやっかいで、大きすぎて捨てられない。習いに行っている絵画スクールで講師や生徒たち皆が使っているサイズなのだろうが、描き終わったら処分するとか、うまく描けたページだけ切り取って保管しておくとかすればよいのに、父はすべてとっておく。使い終わった大小さまざまのスケッチブックだけで何十冊も部屋を占拠していた。筆も、画板を入れるためのバッグも、必要なぶんだけあれば十分なのに、不安症なのかいくつもいくつも出てくる。

ゴミを捨てるにもコツがあって、ただゴミ袋に入れて捨てようとすると、半透明のゴミ袋の表側から何を捨てようとしているかが父にバレてしまうので、捨てようとしているものが見えないようにゴミ袋の中を新聞紙で覆ったり、捨てる物そのものを新聞紙でくるんでカモフラージュしたり、とにかく捨てる物を隠さないといけない。バレたら大騒ぎになるからだ。本当に苦労だ。汗だくになりながらゴミ屋敷を片付けていると、殺意が湧いてくる。人にこんなに迷惑をかけてまでやる趣味などやめてしまえ。誰も喜んでいない絵画など二度と描くな。

素人のくせに一畳分もしくはそれ以上あろうかというような、巨大で重い、プロの画家仕様のキャンバスに描きかけのへたくそな絵画が狭い部屋を占拠して、床が抜けそうである。

ひとつまともな作品と言えるものをきちんと描き切ればよいのに、どれも描きかけ、やりかけ、途中で放り投げてしまうのは父の悪癖で、子供をつくったはいいが、小さな子供の頃は楽しかったのか良く遊んでくれたが、成長してしまうとめんどくさくなって、まったくの無関心になってしまった。母に対する気持ちも言わずもがなである。一事が万事このありさまで、興味を持って蕎麦打ちや健康療法など色々と始めるが、なに一つものごとが続いたためしがないのである。あるとすれば大企業を入社から定年まで勤め上げたことだ。父は働くことがすごく向いていて、出世した。今でも家庭ではボケ散らかし威張り散らしているただの老害だが、現役の頃とった国家資格を武器に今でも嘱託で働いており、職場からお礼の品をもらって帰ってくる(詳細は割愛するが、行政で相談員をしており、働きがよく貢献しているので相談者からお礼の菓子折りなどをしょっちゅうもらってくるのだ)。レーダーチャートのバランスがとても悪い人だ。

自分のキャンバスだけならまだしも、世話になった絵画講師の遺品の引き取り手を遺族が募集しており、父に連絡してきて、嬉しくなってしまったのか、のこのこと出向いて引き取っており、ゴミをもらってくる馬鹿がいるかと母が火が付いたように怒っていた(怒りは父に向けるとやっかいなので愚痴を私が聞く形で)。

家の外の人間に対する強いコンプレックスがあり、病的なまでに自分(や自分の家族)が近所の人にどう見られているかを気にする。

絵画の講師はもちろんのこと、絵画仲間などにへつらい、絵画教室の展覧会などがあると車出しを率先して買って出ており、親切心は本来褒められたものなのだが、家族には異様に無関心で冷酷なので、家族からは白い目を向けられていた。

このように人間関係の構築に難を抱えており、父は友達がいない。家族には無関心で、絵画教室などのコミュニティでは極端にへりくだるか、コミュニティ以外の人(近所の人)などには極端な警戒心と羞恥心と自意識過剰を発動するのであった。

父の絵画の趣味は、二重にも三重にも、父の心の闇を可視化させた。納戸はおおかた片付いたが、これまた本棚におさまらないサイズの巨大で分厚い美術書が死ぬほど山積みになっているのと、捨て方がわからないほどに大きなスケッチブックと、これまた描きかけのバカでかいキャンバスがいくつも。ここが父の部屋になるのだから、あとは父に任せることにした。

父は人に頼ることが嫌いだから、一生心の傷は癒えないままだろう。セラピーなんか受けたら深すぎる傷が癒えるショックで死んでしまうかもしれない。4年目を迎えた親との同居生活で、愛情や共感や思いやりが一切得られない中、ファザコンだった私が最近では父に寄り添うよりは憎しみのほうが勝ってしまうようになってしまった。

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